慰安婦問題について、いろんな報道: 【GHQ焚書図書開封シリーズ】中国兵が語った中国戦線。匪賊になって生き延びた中国人逃亡兵。ラルフ タウンゼント (著)、暗黒大陸 中国の真実。阿片の中国史。

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【GHQ焚書図書開封シリーズ】中国兵が語った中国戦線。匪賊になって生き延びた中国人逃亡兵。ラルフ タウンゼント (著)、暗黒大陸 中国の真実。阿片の中国史。


「敗走千里」陳登元著/別院一郎訳
・教材社・昭和13年3月 
中国兵の陳登元氏が自らの戦争体験を綴った
敗走千里』という本の解説がある
関連
盧溝橋事件の後で、なぜ我が国は中国との戦いに巻き込まれたのか (08/30)
黄河決壊事件」の大惨事が教科書に記述されないのはなぜか (01/18)
陥落直前に無責任にも南京を脱出した
中国軍の最高指揮官が栄転したのは何故か (01/28)
蒋介石に外国の干渉を導くことを進言したドイツの軍事顧問団 (02/02)
GHQ焚書図書開封 第29回 SakuraSoTV
GHQ焚書図書開封 第30回 SakuraSoTV

フレデリック・ヴィンセント・ウイリアムズ著、田中秀雄訳、
芙蓉書房出版、2009年11月発行、¥1,680(税込み)
第一章 極東の現状、その全体の俯瞰図
第二章 西安事件と頻発する日本人虐殺事件
第三章 第二次上海事変の内幕
第四章 残虐きわまる中国軍を糊塗するプロパガンダ大戦略
第五章 日本のアジアに対する崇高な使命感
第六章 パネー号事件と対米プロパガンダ大作戦
第七章 阿片を蔓延させる日本というプロパガンダ
第八章 中国人と日本人を比較する
第九章 チャイナタウンの暗殺団と中国の軍閥
第十章 反日を煽る偽写真 
第十一章 ソ連の中国侵略を阻止しようと戦う日本
第十二章 宣教師の善意を利用して日本軍の悪を宣伝する
第十三章 広東と漢口の陥落、そしてその後の展望
[桜H21/11/26] SakuraSoTV
翻訳を手がけられた『暗黒大陸中国の真実』で、
根本的に日本人とは異なる中国人の特質­を明らかにされた
田中秀雄氏をお迎えし、このたび新たに翻訳された
『中国の戦争宣伝の­内幕-日中戦争の真実』
を中心に、中国の対日戦略についてお聞きしていきます。

2011年8月26日 シアターネットTV

GHQ焚書図書開封 第80回 SakuraSoTV
第80回:支那政治の裏を描く本当の歴史

■ 第81回:移住と同化、支那人の侵略の仕方
■ 第82回:満洲事変前の漢民族の満洲侵略
■第83回:いかに満人は消去され、
蒙古人は放逐され、朝鮮人は搾取されたか
■第84回:支那事変 -漢民族が仕掛けてきた民族戦争-
■第85回:支那事変 -漢民族が仕掛けてきた民族戦争-
■ 第86回:今の反日の原点を見る 蒋時代の排日
■ 第93回:あるドイツ人の見た支那事変
GHQ焚書図書開封 再生リスト

暗黒大陸 中国の真実 単行本 – 2007/9
田中 秀雄 (翻訳), 先田 賢紀智 (翻訳)

書評:暗黒大陸中国の真実

2010年01月20日水 My Aim Is True

中国共産党政府になり、阿片をどうやって処理したのでしょうか?
清の時代、1840年代のアヘン戦争から、
100年も中国を悩ませていた阿片や阿片患者を
中共政府は力づくで叩き潰したと思われますが、
どうやって数年で阿片を撲滅させたのか、非常に興味があります。

ベストアンサーに選ばれた回答
2013/4/2105:36:28
実は質問のピントがずれているんです。

×アヘン撲滅の方法が優れていたからアヘンがなくなった
国家がアヘン収入に頼らなくても良くなったから無くなった
(ちなみに現代中国も含め、本当に無くなったわけではない。
大幅に減ったということ)

中国にアヘンが大流行した最大の理由は
「当時権力者が様々な理由でアヘン商売で
資金を得る必要があった」からなんです。
実際中国国民党も八路軍(中国共産党の前身)も
アヘン商売で軍資金を得ていました。
逆の見方をすれば、国家情勢が不安定だから、
というのが理由なんでしょう。

しかし毛沢東が中国統一すると、
とりあえず内乱状態ではありませんから
基本税収による国家運営を行います。
となるとアヘンは邪魔なわけです。
で、撲滅されたと。今まで最大大口商売人が
足を洗ったらそりゃ減るでしょう、
という当たり前の理屈です。

もちろん公開処刑のようなモノもあったかもしれません。
実際八路軍は農村において、
富農を公開処刑することで民衆支持を獲得してますし
(ちなみに戦後GHQが農地改革をやったのは、
共産党伝統の公開処刑による支持層獲得を未然に防ぐため)。
が、それが主たる理由ではなく、先述のことが一番の理由です。

ちなみに。アヘン戦争の反省からか、
現在中国の麻薬に対する刑罰は他国に比べ、
「極めて重い」です。
とはいえ、アヘンの元になるケシは
伝統料理に使われる材料でもあり、
具体的な線引きが難しいという事情もあります
(ケシがら 四川 で検索)。
26日、中国の食品当局はこのほど、
アヘンの原料となる
ケシの実の殻を使った料理を提供していた
レストラン35店を摘発した。
当局の取り締まりにもかかわらず、
このような違法行為は後を絶たない。写真は火鍋。
30日、新華網は記事「上海、四川省、陝西省など
各地のレストランでけしがらを調味料に」を掲載した。
けしがら入り料理を食べただけで
処罰されたお客もいたという。写真は火鍋。
2016年1月26日、寒い季節に特に人気の高まるのが火鍋や
ラーメンといった料理だが、中国の食品当局はこのほど、
これら料理にアヘンの原料となる
ケシの実の殻を使って提供していたレストラン35店を摘発した。 

中国政府はケシガラを食品に添加する行為を
厳しく取り締まるとしているが、これが奏功していないのが実情。
ケシガラを使うと「おいしさが増す」
「料理を食べた客は依存状態になって再び来店する」
といった考えでケシガラ入り料理を提供する飲食店は後を絶たず、
2014年には上海、四川、陝西などのレストランで
調味料として使われているのが見つかった。
食事をした客が尿検査の結果、アヘン使用と認定されて
行政拘留処分を受けるなどの事態にまで発展し、
翌年にも湖北省武漢市の飲食店で
ラーメンを食べた男性が同様のトラブルに巻き込まれている。 

ケシガラは初夏の味として人気のザリガニ料理にも
使用されることがあるという。
違法行為であるにもかかわらずケシガラの入手は簡単で、
ネットで堂々と販売する店も確認されている。(翻訳・編集/野谷)


2014年10月30日、新華網は記事「上海、四川省、陝西省など
各地のレストランでけしがらを調味料に」を掲載した。 
火鍋やザリガニ料理を食べたら、どれだけ食べても食べ足りない、
くせになってしまうという体験をしたことはあるだろうか。
あるいは数日おきに通わないと
我慢できないおなじみの店はないだろうか。
ひょっとするとそういう店は特殊な調味料を使っているかもしれない。 

その調味料とはけしがらだ。
けしの果実から種子を取った後の殻で麻薬成分が含まれている。
鎮痛剤などの原料として使われる一方で、
調味料として使われることも多い。
もちろん違法行為だ。今年9月には陝西省各地で
けしがらを使ったレストランが摘発された。
食事をした客が尿検査の結果、アヘン使用と認定されて
15日間の行政拘留処分を受けたという笑えない一幕まであった。
陝西省だけではなく
上海市や四川省など各地で同様の事件が見つかっている。 

けしがらの入手も簡単で、
堂々とネットで販売しているお店まであった。
お値段は500グラムで200元(約3500円)。
安くはないが、人気店になるためには
欠かせない調味料なのかもしれない。(翻訳・編集/KT)
広州も舞台となり興味深いことが多く書かれていて
大変面白く一気に読みきった。
読み終わったあと表四に著者の写真が掲載されていた。
美人だなあと思いながら何か見覚えのある顔・・・・
そうだ大学時代クラブの後輩だ・・
大学のとき日本名だったのでピンとこなかったが、
就職してから、台湾の亜東関係協会
(この時期は、台湾は国交がなく、大使館の代行機関)
で偶然出会い、彼女が慶応外語にて
中国語の講師をしていると聞いて驚いたことを思い出した。
…今では、阿片は、阿片窟のおどろおどろしい、暗い、
悪の巣窟のイメージであるが、阿片が中国に入って来た時期では、
価格も銀の4倍の貴重品であるし、病気を治すものでもあった。
揚州では、高級官僚や上級役人、豪商の間に広まり、
パーティや宴会、商談その他さまざまな社交場で用いられた。
まず、客に1,2服してもらうのが丁寧なもてなしだとされた。
またその他の大都市でも、

煙館とよばれる阿片を吸う高級社交場も出来ていた。

そうなんです、阿片が中国に入って来た時は、
貴重なお茶のように大切に扱われ、
茶館より高級なお店として「煙館」が造られた。

2006-01-23 にゃんこ先生の学習帳
[] 阿片の中国史
中国史を身近に感じさせてくれる良書。
平易で実感的な語り口も気持ちよい。
しかし気になることがひとつ。
著者の譚さんは阿片を
危険な毒物と決めつけて書いているが、本当にそうなのか?
たしかに麻薬には違いないが、それほど危険な毒物なら
中国国民の2割が
喫煙者になるまで流行するだろうか、という疑問が湧いた。


── 「大東亜戦争」の光と影の歴史 ──
~ あの戦争の遠因と背景を探る ~「アヘン戦争」の舞台裏
2004.12 「ヘブライの館 2」
アヘン王サッスーンの暗躍と
上海に築かれたユダヤ人社会の実態
●この本は「アヘン戦争」の実態だけでなく、
20世紀後半の中国共産党とアヘンの知られざる関係についてや、
アヘンと「サッスーン家」の関係についても
詳しく言及されており、なかなか面白い本である。

日本上海史研究会[編]
●19世紀末、「日清戦争」に敗北した清国は下関条約により、
台湾及び澎湖諸島を日本に割譲したが、
台湾における日本のアヘン政策については、
次のような情報がある。
参考までに紹介しておきたい。

「日清戦争後の下関の談判において、
清国の全権李鴻章は、
『アヘンには貴国も
きっと手を焼きますぞ』と捨てぜりふを残していったそうな。
当時16万9千人もいたアヘン中毒患者の問題
日本がどう処理するか、世界各国も注目していた。
『わが国に伝播したらなんとする。
吸引するものは厳罰に処すべし。
輸入や販売を行なう者についても同様だ。
従わないものは台湾から追い出せ。
中国大陸に強制送還せよ。』
このような厳禁説がさかんに唱えられたが、
後藤新平は、『これでは各地に反乱が起き、
何千人の兵士や警官が犠牲になるかわからない』
と反対して、『漸禁説』をとった。
『まず中毒にかかっているものだけに免許を与え、
特許店舗でのみ吸引を認める。
新たな吸引者は絶対に認めない。
アヘンは政府の専売とし、
その収入を台湾における
各種衛生事業施設の資金に充当する。』
アヘンを政府の専売とするという
破天荒なアイデアであったが、
後藤新平の読み通り、大きな混乱もなしに、
アヘン中毒患者は次第に漸減して、
日本敗戦時には皆無となっていた。

後藤新平
明治・大正時代の政治家。
台湾総督府民政長官。初代満鉄総裁。
後藤新平はアヘンの性急な禁止には賛成せず、
アヘンに高率の税をかけて購入しにくくさせるとともに、
吸引を免許制として、次第に吸引者を減らしていく
方法を採用した。この方法は成功して、
アヘン患者は徐々に減少した。

ごとう しんぺい、安政4年6月4日(1857年7月24日)
 - 昭和4年(1929年)4月13日)は日本の医師・官僚・政治家。
※ 参考リンク: 人物探訪: 台湾の「育ての親」、後藤新平
【1月27日配信】きちんと学ぼう!ユダヤと世界史:ユダヤ陰謀論を叱る
第36回 「日露戦争とジェイコブ・シフ」 
内藤陽介 かしわもち 【チャンネルくらら】
■■第2章:「日清戦争」で
日本を援助したユダヤ人マーカス・サミュエル
●1894年に「日清戦争」が勃発すると、
「シェル石油」の創業者であるイギリスのユダヤ人
マーカス・サミュエルは、日本軍に、食糧や、石油や、
兵器や、軍需物質を供給して助けた。

●そして戦後、日本が清国から台湾を割譲されて、
台湾を領有するようになると、サミュエルは日本政府の求めに応じて、
台湾の樟脳開発を引き受けるかたわら、
アヘン公社」の経営に携わった。
日本が領有した台湾には、
中国本土と同じように、アヘン中毒者が多かった。
日本の総督府はアヘンを吸うことをすぐに禁じても、
かえって密売市場が栄えて、治安が乱れると判断して、
アヘンを販売する公社をつくって、
徐々に中毒患者を減らすという現実的な施策をとった。
サミュエルは、これらの大きな功績によって、
明治天皇から「勲一等旭日大綬章」という勲章を授けられている。

●サミュエルは、イギリスに戻ると名士となった。
そして1902年に、ロンドン市長になった。
ユダヤ人として、5人目のロンドン市長である。
彼は就任式に、日本の林董(はやし ただす)駐英公使を招いて、
パレードの馬車に同乗させた。
この年1月に「日英同盟条約」が結ばれたというものの、
外国の外交官をたった一人だけ同乗させたのは、
実に異例なことだった。
この事実は、彼がいかに親日家だったかを示している。
(ちなみに、2台目の馬車には、
サミュエルのファニー夫人と、林公使夫人が乗った)。

●サミュエルは1921年に男爵の爵位を授けられて、貴
族に列した。その4年後には、子爵になった。
サミュエルは「どうして、それほどまでに、日本が好きなのか?」
という質問に対して、次のように答えている。
「中国人には表裏があるが、日本人は正直だ。
日本は安定しているが、中国は腐りきっている。
日本人は約束を必ず守る。
中国人はいつも変節を繰り返している。
したがって日本には未来があるが、中国にはない。」
●その後、ロンドンに、サミュエルの寄付によって
「ベアステッド記念病院」が作られ、
彼は気前のよい慈善家としても知られるようになったが、
1927年に、74歳で生涯を閉じた。

支那事変(日中戦争)と上海の「サッスーン財閥」
●1937年から始まった支那事変(日中戦争)は約8年にもおよんだ。
当時貧しかった中国にあって、
中国国民党・蒋介石軍は強大な軍事力を投入する日本軍とよく戦った。
それは、蒋介石軍の兵器、装備、兵たん部が充実していたからであり、
それら大部分の戦費が、ほぼすべてユダヤ財閥
「サッスーン」から出されていたからである。
(蒋介石夫人の宋美齢の一族・宋家(浙江財閥
もユダヤ資本と友好関係にあった)。

●日本軍が上海のサッスーン一族の

キャセイ・マンション」や外国人クラブを接収すると、
彼らは日本に対して猛然と対抗意識を燃やし始めた。

「サッスーン家」は第1章で紹介したように、
アヘン密売で莫大な富を築いた一族で、
並みいるユダヤ財閥の中でも、ケタはずれの財産を保有する、
屈指の財閥であった。
(サッスーン家は、
英ロスチャイルド家の東アジア代理人であった)。
彼らは当時、上海を東洋進出への最大の本拠地と考えていた。
だからこそ、莫大な資金をつぎこんで蒋介石軍を支え、
日本を中国大陸から追い出そうとしたのである。

「上海キング」と呼ばれていたビクター・サッスーンは、
日本の「フグ計画」に協力するのを断固拒否し続けた。
(※ ビクター・サッスーンは
イギリス育ちで親英主義者であり、反日的であった)。

●支那事変の全期間を通じて、
日本は「サッスーン」をはじめとした
欧米のユダヤ財閥を向こうに回して戦争をしていた、
といっても言い過ぎではなかった。

歴史研究家ハインツ・E・マウルは、
サッスーンについて次のように述べている。

「当時、ビクター・サッスーンは日本にとって
上海のユダヤ財閥の代表格であったが、
日本の計画(フグ計画)には関心がなく、
それどころか1939年2月のアメリカ旅行の際に反日発言を繰り返した。
日本の中国大陸での冒険を終わらせるために、
米英仏は日本を事実上ボイコットせよというのである。
日本の陸戦隊本部は、サッスーンは自分の権力と影響力を
失いたくないので日本軍を恐れているのだと見ていた。」

●明治大学教授の阪東宏氏によれば、

1939年2月にアメリカを訪問したビクター・サッスーンは、
ニューヨークで記者会見を行ない、
次のような趣旨の発言(反日発言)をしたという。

「日本軍による対中国作戦と中国側の焦土作戦の結果、
中国大陸では来年大飢饉を免れないであろう。
『日支事変』後の日本の中国経済開発事業は、
アメリカ、イギリス、フランスの財政支援なしには不可能であろう。
日本の戦略物資の70%を供給している
アメリカ、イギリス、フランスが対日輸出禁止を実施すれば、
日本は中国大陸から退却せざるをえない。
また、日華戦争の経費負担の増加のため、
日本は中国よりも赤化する可能性がある。
なお、アメリカ、イギリス、フランスの対中国投資は、
今後も安全が保証されるであろう。」

この反日発言に神経をとがらせた日本の外務省は、
在ニューヨーク、上海の総領事館あてに
サッスーンの言動を更に調査、報告するよう指示したが、
意味のある調査結果は得られなかったという。

●海軍の犬塚惟重大佐の「犬塚機関」は、
サッスーン家が反日的姿勢を改め、
日本に協力してくれることが何よりも重要だと考え、
1939年夏、ビクター・サッスーンを
上海の虹口地区(通称「日本租界」)に招いて会食を開いたりした。

しかし努力むなしく空振りに終わった……。

●ちなみに、ルーズベルト大統領も強烈な「親中反日主義者」で、
中国を溺愛し、日本人を“劣等人種”として
激しく差別していたことで知られているが、
彼の母方の実家であるデラノ家は、サッスーン家と同じく
中国へのアヘン貿易で財をなしたファミリーであった。
また、ニューヨークのマンハッタン島の
不動産を買い占めたアスター家も同様である。

 せっこうざいばつ。中華民国国民政府蔣介石を支持した、
上海を本拠にする浙江省・江蘇省出身の金融資本の総称。
海外の帝国主義諸国の大資本と結び、中国経済を支配した
民族資本家の代表的な例である。
同時に彼らは、上海の租界において外国商社との
特別な関係を結んで成長してきた
買弁資本の最も成功した例である。
 浙江財閥を構成したのは、
宋子文・孔祥煕・陳立夫・蔣介石のいわゆる四大家族とわれる人々で、
彼らは高級官僚の地位を利用して投資に成功し
巨富を蓄えたもので、官僚資本などとも言われる。
共産党の進出に恐怖を感じ、国民党の右派を支援して反共に転じさせた。
1927年、北伐の途次にあった蔣介石が、国共合作を放棄して
上海クーデターによって共産党に大弾圧を加えたのも、
このような財閥の意向が背景にあった。
その後も国民党蔣介石政権と癒着しながら、
上海を中心に勢力を強め、
1935年の通貨統一(幣制改革)でさらに独占体制を確立した。

●この蒋介石とルーズベルトの関係について、
ある歴史研究家はこう鋭く述べている。
「結局、アメリカは中国の利権を狙い、
蒋介石に莫大な投資をしたのに、
その多くを蒋一族に着服された揚げ句、
中国の天下は毛沢東に取られ、
アメリカには1セントの利益も入らなかった。

日本を徹底的に打ち砕いた結果、
アメリカが日本からぶん盗ったもの、

それは日本が中国・満州・朝鮮で長年背負ってきた
『共産主義との対決』という重荷だけだった。

そのためにアメリカは、朝鮮戦争・ベトナム戦争を
戦わざるを得なくなってしまったのである。

『戦争は政治の手段』という大原則に照らせば、
ルーズベルト政権は蒋介石にだまされ、
スターリンにだまされ、国益にならないどころか、
朝鮮戦争・ベトナム戦争を誘発し、
自国民を犠牲にする禍根まで残した
『太平洋戦争』をやらかした全く無能な政治家、
単なる『戦争屋』だったことになる。」

※ ルーズベルトには「共産主義」への警戒心がほとんどなく、
第二次世界大戦中は、ソ連と同盟を組み「蜜月時代」を築いた。
ルーズベルト政権の中枢にはソ連のスパイ網が広がり、
暗躍を続けていた。
この件に関しては、別のファイルで詳しく触れたい。

※ 「サッスーン財閥」についてだが、
「日本上海史研究会」が1997年に出した
『上海人物誌』(東方書店)によると、
「第二次世界大戦後、租界が回収され、
中国の民族意識が高まると、
上海はもはや冒険家の楽園ではなくなった。
上海のサッスーン財閥直属企業はすべて香港に移り、
上海には支社のみを残して業務を大幅に縮小した。
そして1948年には第二次撤退を断行し、
不動産を一斉に投げ売りし、バハマに移転した。
残った不動産も1958年に至り最終的に中国に接収され、
『サッスーン財閥』は中国から姿を消した」という。

●さて、最後になるが、
毛沢東は数人のユダヤ人顧問団を持っていた。
その中の一人は、1946年から1976年まで
毛沢東の側近として密着していたシドニー・リッテンバーグである。
(※ この毛沢東と「中国共産党」の実態については、
別のファイルで詳しく触れたい)。
共産主義に追随したある米国人の反省
2012/10/11 に公開 Japan Ntdtv

 (PHP文庫) 文庫 – 1992/12 ハミルトン フィッシュ (著), 
Hamilton Fish (原著), 岡崎 久彦 (翻訳)
 (講談社学術文庫) 文庫 – 1997/6 〈下〉
「ルーズベルトは中立の公約に背き、日独伊同盟を逆手に取り、
大日本帝国に無理難題を強要して追い詰め、
真珠湾の米艦隊をオトリにして
米国を欧州戦争へ裏口から参加させた。 〈中略〉
米英は戦閾には勝ったが、戦争目的において勝利者ではない。
英国は広大な植民地を失って二流国に転落し、
米国は莫大な戦死者を出しただけである。
真の勝利者はソ連であり、戦争の混乱を利用して領土を拡大し、
東欧を中心に衛星共産主義国を量産した。
米国は敵を間違えたのだ。
ドイツを倒したことで、ナチス・ドイツ以上に凶悪かつ
好戦的なソ連の力を増大させ、その力は米国を苦しめている。
また日本を倒したことで、中国全土を共産党の手に渡してしまった。
やがて巨大な人口を抱える共産主義国家が
アジアでも米国の新たな敵として立ちふさがるであろう。」
(Albert Coady Wedemeyer, 1897年7月9日-1989年12月17日)は
アメリカ陸軍の軍人、最終階級は大将。

第二次世界大戦後期の中国戦線およびビルマの戦いにおいて
米陸軍と国民革命軍を指揮し、日本軍と対峙。
大戦後の冷戦期では、ベルリン封鎖に対する
空輸作戦の主要な支持者となり、
反共主義者の大物の一人としてもてはやされた。

メディアの偏向は意図的かNHK特集
『調査報告 日本軍と阿片』の狡猾な編集
歴史論争最前線の目次へ
田中秀雄(日本近現代史研究家・自由主義史観研究会会員)
例年の戦争特集番組が多い8月に放送された
NHKの『日本軍と阿片』は、
旧日本軍の悪辣さを強烈にイメージさせるという
影響度ではかなり大きな部類に入るだろう。  

しかしおそらくこの番組の真の狙いは、
靖国神社から所謂A級戦犯を除外させるか、
そうできなくても、
永遠に首相の参拝を阻止する意図のもとにできている。
中国でアヘン蔓延を推進した戦犯的な人物として、
処刑された東條英機や
板垣征四郎を象徴的に登場させているからである。  

私がこの1時間番組を見た印象を一言で言うならば、
ものの見事に
日本軍はトランプゲームの
最後の「ババ」を掴まされたということだ。  

このNHKスペシャルが狡猾なところは、
一応は蒋介石や閻錫山の名前が登場し、
中国の国民政府や諸軍閥がアヘンを軍資金にしていることを、
申し訳程度に報じていることである。
しかし私たちが翻訳したラルフ・タウンゼントの
『暗黒大陸中国の真実』、
『アメリカはアジアに介入するな!』
を読んでもらえれば分かるように、
アヘンを政治、軍事のもっとも大事な資金源にしていたのは
中国の軍閥の長たちである。  
『アメリカはアジアに介入するな!』では、
タウンゼントは自ら撮った福建省の一大平原に作付された
アヘン畑の写真を掲載している
当地を支配していた軍閥の名前も分かっている。
共産党がアヘンを資金源にしていたことも
タウンゼントは知っているのである。  

我々の現代的な常識が通用しないことは、
当時の中国のアヘン蔓延の実態を知れば充分であろう。
軍閥は農民に食糧を作らせずにアヘンを栽培させ、
それを巻き上げるのだが、栽培させて税金を取る、
販売と喫煙に際しても税を取るというように、
彼らの政権維持のための
あくどい貴重な膨大な資金源となっていたのだ。  

またアヘン吸引は日本ではむろん犯罪だが、
当時の上海や北京、天津など大都会では、
一風変わった喫茶店程度の感覚で
人々は自由に出入りしていた。

拙著『石原莞爾と小澤開作』に小澤の友人として登場する
中国文学者の村上知行は、
支那及び支那人』(昭和13年)という著書に、
断髪モガを髣髴とさせる日本からやってきた
活発なI女史を引き連れて
北京のアヘン屈を探訪したことを載せている。
そこでの詳細な喫煙方法やら、
一人で来る男性客のために娼婦もいることまでも紹介している。  
むろん、その売り上げは中国政府の収入である。  
彼は書く。
「当時北京には中世期の英国の居城を
髣髴せしめるような、巨大な鴉片窟があった。
4階建ての内部は幾つかの小部屋に分かれていたが、
それが悉く鴉片を売り、鴉片を吸引せしめる場所だった」。
 記述の内容からすると、この時期は満洲事変以後で
支那事変以前のことだと分かる。
本が出た年からみれば、
日本軍が占領した後の昭和13年にはなくなっていたわけだ。  

支那事変は小澤開作が事変後の『改造』座談会で
「陰で赤い舌を出していた」と述べているように(拙著参照)、
盧溝橋事件も含めて中国共産党とソ連の謀略であった。
日本軍が通州事件大山事件で決然と立ち、
中国の北京や上海、主要な都市、地域を軍事占領した後には、
当然、その地における軍政の施行が問題となる。
そんな準備は、(盧溝橋事件が起こらなければ
戦争を起こそうなどとは思っていない)
日本軍にあるわけがない。  

日本軍の特務や後の興亜院里見甫を使って
日本の満州権益の中で阿片流通の中心となった人物として
歴史に名を残しています。
彼を中心とした人脈は戦後昭和史にしばしば登場します。 
更新日: 2015年05月16日

アヘンの集買をやらせていたことは事実だが、
それはまさに当時の特務機関関係軍人が番組で証言したように、
ほかに方法がないための「死活問題」だったのだ。
ほかに信用に値する通貨がない以上、
アヘンを利用するしかなかったのが日本軍である
つまり、追い出した中国国民政府が収益源としていた
アヘンをそのまま利用せざるを得なかっただけということだ。  

このNHK番組は、中国国民政府のそうした実態を主張しない。
蒋介石政府が漢口でのアヘン取締りをしていたという映像は、
日本軍の悪辣さを当時の国際聯盟に訴えた「宣伝映画」であり、
それをそのまま信じて放映する無神経さは
日本の公共放送とは思えない。
せめて「ババ」を掴まされたのだという程度の
解説はするべきではないだろうか。  

満洲国の五族協和、王道楽土の理想郷は、
満洲国全土にあるアヘン窟の数多い実態によって
嘘であることが分かるとNHK番組はいう。
その証拠として出したのが
「満洲国警務総局の内部資料」
(昭和16年)という写真資料である。

満洲国のおどろおどろしいイメージの
決定版とも言いたいのだろうか。
姑息な編集としか言いようがない。
大観園の解剖: 漢民族社会実態調査
原書房, 2002/03/23 - 294 ページ

佐藤慎一郎先生が書いた『大観園の解剖』に出ている
写真そのものではないか。
満洲のハルビンにあったアヘン窟であり、
売春宿でもあった大観園を佐藤先生が調査した記録である。  

大観園の周りの道路には、
毎日の干からびた全裸死体が何体も放り出される。
それを長い鈎でひっかけてトラックで回収して回るのが
ハルビン市の役目である。
まるで燃えないゴミの回収のようだが、
市はこれを共同墓地に埋めに行く。
NHK番組は、干からびた死体も、
墓地の棺桶に入った
男性器が丸見えの死体写真も紹介したが、
革靴を履いた足も写りこんでいた。
これが、調査をした佐藤先生の足である。

ついでながら、共同墓地のことを
佐藤先生は「万人坑」とこの本で書いている。
日本軍がやったという生き埋め、
虐殺とは全く無縁の言葉である。
虚仮脅しに日本人は本当に弱い。

全裸死体が毎日無造作に放り捨てられ、
死体のすぐ脇では、気にもせず
屋台の朝飯を食べる中国人がいる“魔窟”大観園には、
満洲国政府も恐ろしくて手が出なかった。
大正時代に満洲に渡り、中国語も流暢な、蒋介石や
国民政府の要人とも関係の深かった佐藤慎一郎でなければ、
ここの内部調査はできないというので先生が頼まれたのだ。  

私が、佐藤先生から直接聞いたところによると、
梅毒症状で息をするたびに鼻がプルプルと震え、
鼻が欠けた大歓園に住む売春婦にも聞き取りをしたという。
むろん体には触れない。
娼婦の使う蚕棚のようなベッドの四方の壁、
天井はつぶされた南京虫の死骸でびっしりだった。
開いた天井の穴からは、
数角を払えば性交の模様を覗き見できる。
2階に上る階段の下には、
これから捨てられる枯れ枝のような死体が積み重なっていた。
アヘン中毒で死ぬ者は、その死の直前に周りの者から、
着る物一切身ぐるみ剥がされる。
だから放り捨てられるときは丸裸なのだ。
佐藤先生は調査中に
人が殺される時のかすかなうめき声も聞いている。

満洲には山東省からの移民が多かった。
大観園で死んだ無縁者の腹を開けてアヘンを詰め、
親族の遺体だとして
故郷の山東省に送り返す形で密輸していたことも分かった。  

NHKは巧妙にごまかしているが、
“魔窟”大観園は満洲国政府とはまったく関係がない。
ハルビンの顔役の一人である中国人が
堂々と経営していたのだ。
日本軍が支配していた満洲国を、
支配されながら陰で嘲笑していたのが中国人だったのだ。
満洲国はアヘンを専売にしていたことは番組でも言っている。

専売にしたのは、これが1895年以来の台湾の統治で
アヘン患者を急激に減らすことに成功した
唯一の方法だったからである。
これは医者でもあった後藤新平民政長官の考えであった。
専売による収入は、患者の厚生費や福祉事業に当てられる。
このやり方を満洲国政府も踏襲しようとしたのである。
しかし主に熱河省(現在は河北省に併合)で
栽培されているアヘンは、専売のために農民からの
購入価格は決められている。
それを尻目に、専売価格より高価に買い取って
資金源にしていたのが中国共産党である。
それは北京や天津、上海で販売されて活動費となった
そのことは石原莞爾の側近だった
協和会山口重次が証言している
(『石原莞爾と小澤開作』参照)  

こうした事情は、見かけ上は
日本軍の占領下にあるというだけの支那本部
 China proper ではさらに顕著なものだった。
天津や上海の租界には、日本の警察力は及ばず、
共産党や国民党の特務の跳梁跋扈するところだった。
彼らの融通無碍な活動力がどこからくるのか? 
よほどのぼんくらでない限り、誰でも分かる。
日本軍の特務がアヘンを使わなかったら、
彼らが独占していただけのことである。  

NHKの調査力なら、
その程度のことを調べるのは可能だろう。
もっとも調べる気力も、
調べたところで放映することもなかっただろう。  

ついでながら、私は大観園の跡地を見学している。
今も荒涼とした跡地には、
洗浴」と書かれた看板の店があった。
中国人ガイドは、お風呂屋さんだが、
売春施設でもあるのだと言った。

文革を散々に体験して日本に逃れてきた故石原栄次は、
私のところに佐藤先生も激賞する
ユニークな中国通信誌を送ってくれていた。
その中に、遼寧省のアヘン患者80万人とあった。
また旧満洲の朝鮮族の研究者である私の知人は、
農民が道端でアヘンを売っていたのを目撃している。
この話を聞いたのは10年ほど前である。  

佐藤慎一郎著『大観園の解剖』は、
今は原書房刊で手に入る。
それを現代仮名遣いに直す手伝いをしたのはこの私である。

アメリカの鏡・日本』(あめりかのかがみ・にほん)は、
アメリカ人女性学者ヘレン・ミアーズ(Helen Mears、
1900年(明治33年)-1989年(平成元年))の著書の邦題である。
原題はMirror for Americans: JAPANである。
概要 ヘレン・ミアーズは、1920年代から
日米両国が開戦する直前まで東洋史・地政学を研究し、
二度にわたって中国本土と日本を訪れ調査した。
太平洋戦争中はミシガン大学ノースウェスタン大学などで
日本社会について講義していた。
連合国軍占領下の日本ではGHQの諮問機関
労働政策11人委員会」のメンバーとして、
戦後の労働基本法の策定に大きな役割を果たした。
帰国後の1948年(昭和23年)にアメリカ本国で出版された。

著者自身より同書を贈られた女性翻訳家原百代は、
CIE民間情報教育局)に日本での
翻訳・出版の許可を求めたが、却下された。
原の訳書は『アメリカの反省』の邦題で、
講和独立の翌1953年(昭和28年)に、文藝春秋新社で
出版されたが埋もれた著作となっていた
(新訳版の訳者もあとがきで、後で知ったと記している)。

なお、『忘れられた日米関係 ヘレン・ミアーズの問い
御厨貴小塩和人共著、筑摩書房〈ちくま新書〉、
1996年)に、出版の経緯と以後の足跡が詳しく記されている。
日本軍による真珠湾攻撃以来、我々アメリカ人は、
日本人は近代以前から好戦的民族なのだと信じこまされた。
しかし、前近代までの日本の歴史を振り返ると、
同時代のどの欧米諸国と比較しても
平和主義的な国家であったといえる。
開国後、近代化を成し遂げる過程で日本は、
国際社会において欧米先進国の行動に倣い、
「西洋の原則」を忠実に守るよう「教育」されてきたのであり、
その結果、帝国主義国家に変貌するのは当然の成り行きだった。

以後の好戦的、侵略的とも見える日本の行動は、
我々欧米諸国自身の行動、姿が映し出された
鏡といえるものであり、東京裁判などで日本の軍事行動を裁けるほど、
アメリカを始め連合国は潔白でも公正でもない。
また日本が、大戦中に掲げた大東亜共栄圏構想は
「法的擬制」(本書中にしばしば登場する言葉で、「見せかけ」、
「建て前」と類義)であるが、アメリカのモンロー主義同様、
そのような法的擬制は「西洋の原則」として広く認められていた。
さらに戦前・戦中においては、国際政治問題は
「道義的」かどうかではなく「合法的」かどうかが
問題とされていたのであり、戦後になって韓国併合
満州事変も含め、道義的責任を追及する事は偽善である

実際に戦前・戦中の段階で、日本の政策に対して
人道的懸念を公式表明した国は皆無であり、
自国の「合法性」を主張する言葉でのみ
日本を非難し続けるのは不毛であるとする。

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