慰安婦問題について、いろんな報道: 【日本国憲法】加瀬英明×堤堯「つつみかくさず」 #08 ~我々が本気で話す日本の裏舞台〜。幣原喜重郎元首相が語った 日本国憲法 - 戦争放棄条項等の生まれた事情について。

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【日本国憲法】加瀬英明×堤堯「つつみかくさず」 #08 ~我々が本気で話す日本の裏舞台〜。幣原喜重郎元首相が語った 日本国憲法 - 戦争放棄条項等の生まれた事情について。

加瀬英明×堤堯「つつみかくさず」 ※憲法九条について
#08 ~我々が本気で話す日本の裏舞台〜 DHCTHEATER
2016/01/27 にライブ配信 DHCシアター・presents
加瀬英明=外交評論家、
堤堯=ジャーナリスト・元文藝春秋編集長 
戦後日本をたどる秘話を語りつくすふたり。
第8回テーマ・・・「終戦」と「天皇の存続」はどのようにできたか Part5 
【2016年1月27日(水)16:0017:00



 今月16日、自衛隊による米軍などの
後方支援を可能とする
安全保障関連法案が衆議院で可決され、
「憲法9条」と「集団的自衛権」の関係をはじめとして
憲法論議がにわかに活気づいている。
 また、安倍晋三首相は在任中の
憲法改正を目指しているともいわれており、
今後国民的な議論が起こる可能性も高い。
だが、そもそも現行憲法はデタラメだと指摘するのが、
憲政史研究家で5月に
帝国憲法物語』(PHP研究所)を上梓した
倉山満氏である。今回は倉山氏に、
・日本国憲法の出生の秘密
・なぜ現行憲法はデタラメなのか
・見直されるべき帝国憲法

などについて聞いた。

●集団的自衛権の行使は官僚の論理の問題
--本書では、国際法の常識では
外国軍に基地を提供することは集団的自衛権の行使である、
と指摘されていますが、
内閣法制局は「行使ではない」と表明しています。
倉山満氏(以下、倉山) 
まず、大前提として理解しておかなくてはいけないのは、
国連憲章51条にも明記されていますが、
そこに書いてあろうがなかろうが、すべての国家は
当然のこととして個別的だろうが集団的だろうが
自衛権を保有し行使できることになっているということです。
そして、現に日本国憲法の下でも、これまで集団的自衛権が
行使されてきた「実績」があります
国際法では、外国の軍隊に基地を提供することは
集団的自衛権の行使とみなされるのです。
しかも、その基地から、例えばベトナム戦争の時のように、
実際に軍隊が出撃しています。
これが、集団的自衛権の行使でなくてなんでしょう。
 それが、あたかも
「日本国憲法下では、集団的自衛権は行使できない」
かのごとくいわれるようになったのは、
1972年、田中角栄内閣で内閣法制局が
「集団的自衛権は保持できるが、行使しない」と判断したからです。
もともと日本国憲法の下でも行使されている集団的自衛権を、
ただある種の政策判断として
「行使しないことにする」と述べただけです。
そう述べただけで米軍基地をなくしたわけでもないので、
実態はまったく変わっていないのに、です。
 しかし、今の内閣法制局からすれば、
集団的自衛権を行使していることを認めたら、
前任者の批判になってしまいます。
霞ヶ関の論理は前任者を批判しないことなので、
認めるはずがありません。
単なる官僚の論理で、憲法問題でもなんでもない。
 だから、政治判断で「集団的自衛権も行使していた、
もともとのかたちに戻ります」という。
それだけの話です。内閣法制局が、「本来行使できる権利」を
「行使できない」としただけなのですから、
情勢の変化によって「行使できる」と判断するのなら、
まったく問題ありませんし、
「憲法解釈の論理的一貫性」などと言い募る必要もありません。
現実の政策として必要なことをやればいいのです。
むしろ、事情が変わっているのに
論理が一貫したら、おかしな話になります。
 ところが、安倍内閣は一内閣の勝手な解釈で、
「行使できないもの」を「行使できる」ように
変えるかのような説明を繰り返しています。
現在、政府が行っている説明では、私でも反対です。
下手に憲法解釈の一貫性や整合性を主張するから、
政策論議ができなくなってしまったのです。
 そもそも、日本国憲法自体がデタラメなのですから、
そんな代物に合わせて
論理的整合性など求めるから、しどろもどろになるのです。

●米国の落ちこぼれがつくった日本国憲法
--日本国憲法を作成したのは、
戦後日本を占領していた連合国軍総司令部(GHQ)ですが、
彼らがデタラメにつくったということでしょうか。
倉山 彼らはニューディーラーと呼ばれ、
米国政府では落ちこぼれでした。
本国で相手にされないような人たちが
日本国憲法をつくったのです。
最高司令官だったダグラス・マッカーサーを筆頭に、
本国に帰ってから出世した人は1人もいません。
ちなみに日本は、総理大臣を経験した阿部信行を
朝鮮総督府総監に就任させ、台湾総督府には
桂太郎や明石元二郎を送り、満州帝国には
東條英機と岸信介という、
全省庁で最も優秀なエース級の人材を派遣しました。
 よく日本国憲法は「Made in USA」と評されますが、
これは3分の1しか正しくありません。
3分の1が「Made in USA」、
3分の1が米国の落ちこぼれの手によるもので、
残りの3分の1は「Made in USSR(旧ソビエト連邦)」です。
GHQで日本国憲法の翻訳業務を担当した
トーマス・アーサー・ビットソンは旧ソ連のスパイで、
モスクワと交信しながら業務を進めていました。

--日本国憲法の正当性をめぐっては、
1945年8月のポツダム宣言受諾で主権が天皇から国民に移り、
国民主権の憲法が制定されたとする
「八月革命説」が日本に浸透していると、
本書では指摘されています。

倉山 東京大学教授だった宮澤俊義氏が唱えた説です。
「東大法学部教授」というエスタブリッシュメントで、
著名な憲法学者である美濃部達吉氏の後継者だったことから、
幣原内閣で松本蒸治元商工大臣が助手として宮澤氏を使って
憲法改正調査を行ったのです。
ところが、土壇場になって宮澤氏は松本氏を切り捨てて
GHQに媚びたのです。
宮澤氏はGHQにつけば
“憲法の神”になれると思ったのでしょう。
 しかし、常識的に考えれば、宮澤氏の議論は
詭弁の極致以外の何ものでもありません。
そもそも、大日本帝国憲法には、
どこにも「天皇主権」などと書いていないのです。
明記されているのは「統治権」の所在だけです。
戦前憲法学の通説であった
美濃部達吉の憲法論でも天皇主権を退けています。
戦前にも「ない」とされていたものを「あった」と強弁して、
勝手に「革命だ」と熱狂しているのですから、
宮澤説は学問ではなく、カルト宗教にすぎないのです。

●憲法9条の限界
--倉山さんは「護憲派は論外」と主張されていますが、
護憲派が焦点とする憲法9条の限界はなんでしょうか。

倉山
 限界といえば、何もできないことでしょう(笑)。
ただ、今の護憲派の中で9条はマイナーな問題です。
護憲派が焦点にしているのは9条よりも人権であって、
13条(幸福追求)、
24条(両性の平等)、
25条(健康で文化的な生活)です。
 むしろ、9条を争点にしているのは、保守派の方です。
飯の種ですから(笑)。
「お前ら、何年、9条で飯を食ってるんだ」と言いたいです。
一生懸命、集会をやって「憲法改正だ」と騒いでいるのに、
70年たっても誤植1文字変えられていない。
天皇の国事行為を定めた7条には「国会議員の総選挙」
という文言がありますが、参議院は3年ごとの半数解散なので、
衆参同日選挙でも半分は残ります。
絶対に「国会議員の総選挙」など存在しないのですが、
「総」の字、1文字すら削ることができないでいる。
 そんな、一度も勝ったことがない保守派ですが、
変なことを主張しています。
保守系の人たちは
「9条でも、1項は侵略戦争について書かれているだけだから
気にしなくてもよい」
と言っていますが、9条をまったく理解していません。
9条1項で禁止されている「国権の発動たる戦争」は
マッカーサーがメモに走り書きをして、
それが民政局に示された時には
「主権の発動たる戦争」と書かれてありました。
つまり、
「マッカーサーは日本国の主権を認めない」という条文なのです
また、9条2項の「国の交戦権は、これを認めない」という文言も、
「マッカーサーは日本の交戦権を認めない」という意味であり、
主語はあくまで「マッカーサー」です。
 もともと、そういう性質のものを、
とりあえずは国としてやっていけるように
解釈してやってきただけなのですから、
そもそも9条の議論はどこまでやっても矛盾するだけです
 だいたい、日本国憲法の三大原則は
国民主権、人権尊重、平和主義だといわれますが、
これはもともと旧文部省(現文部科学省)のパンフレット
あたらしい憲法のはなし』に
「國際平和主義」「主権在民主義」「基本的人権」と書かれたものを、
宮澤氏が三大原則として祀り上げたようなものです。
当時の文部官僚は、現在からは想像もつかないぐらい優秀でした。
戦前に「八紘一宇」なる言葉をあそこまで広めたことでもわかるように、
上が決めたことを国民に普及させることに長けていました。

●帝国憲法が日本最高の法である
--そのような現在の日本国憲法と異なり、
倉山さんは1889年に発布された帝国憲法を評価しています。
倉山 
日本国憲法がなぜ日本の最高の法なのかという
疑問に対して、説明はつきません。
無理に説明をつけようとすると、
デタラメな八月革命説に戻ってしまいます。
一方、帝国憲法の正当性については説明がつきます。
帝国憲法の成立過程と、その前文にあたる御告文を読めば、
なぜ帝国憲法が
日本の最高の法なのか、疑問の余地がありません。
 御告文は明治天皇が皇祖皇宗、
つまり歴代天皇に誓うかたちになっています。
中身は、
「これまでご先祖様から宝物である日本国を受け継いできました。
このたび、人文の発達に従い、
わたくしの代で帝国憲法を定めることにしました。
政治を行う掟とし、わたくしは守ります。
わたくしの子孫たちにも守らせます。
この掟を守ることによって、国民は幸せになれるでしょう。
御先祖様たちよ、お守りください」となっています。
原文の文体は、格調高い祝詞です。
 よく「大日本帝国憲法は、プロシア憲法をマネしただけ」
などといわれますが、
実はそれはとんでもない言いがかりなのです。
このようなことについては、
拙著『帝国憲法物語』をお読みいただければ、
おわかりいただけると思います。(構成=編集部

戦争放棄条項と引き換えに天皇制は存続した
―読売・吉野作造賞受賞の『日本占領史』著者
配信日時:2015年8月10日(月) 6時0分 レコードチャイナ

ワシーリー・モロジャコフ 【Profile】nippon.comコラム
2015.04.27
A級戦犯・白鳥敏夫からの英文の手紙
1945年12月10日公判を待つために

東京の巣鴨拘置所に拘留中の、前駐伊大使で同時に
「A級戦犯」であった白鳥敏夫は、
吉田茂外相(当時)あての長文の手紙を書き終えた。
手紙は英語で書かれていた。
拘置所の検閲を難なくすり抜けられるようにするためか、
それとも手紙が占領軍本部の目に留まるようにするためなのか。
占領軍に読ませるためだったとの可能性が濃厚であったとみられる。

白鳥は、1930年代初頭に
天皇陛下の報道官だった頃の回想から始めている:
(3年間の報道官の職務のお蔭で、
私は、頻繁に間近で天皇陛下をお見かけし、
陛下のお人柄を知り得る、非常に稀な機会を得た。
その結果、私は、天皇陛下が、生まれ持って平和を愛しておられ、
真実を尊重し、
真に日本国民の平安に心を砕かれていることを深く確信した。
特に、陛下は、国際関係に関心をもっておられ、
他国と善隣関係を保ちたいとお考えになっていたようだ。
私は陛下は本能的に軍人に不信感を抱いており、
大元帥という肩書と公の場で着なければならない軍服を
最悪なものと感じていたと私には思われた。)

白鳥は、どこまで正直に

このような天皇の姿を描いたのだろうか?
このように天皇を描写することで
誰かを納得させたかったのだろうか?
吉田茂は、この手紙を書いた白鳥本人よりも、
昭和天皇の実像をよく知っていたと考えられる。
従って手紙のこの部分は、
占領軍に向けられたものだったのではないだろうか。
天皇は「戦犯」として東京裁判に召喚されるのか、
玉座からの退位を強制されるのか、
もしくは、統治権の総攬者(そうらん)ではなくなり
日本国と日本国民統合の「象徴」たる君主として存続するのか。
この時期、占領軍は、天皇の今後の運命について
まだ最終決定を下していなかった。

興味深い憲法改正に関する記述
この手紙の中で最も興味深い部分は、その結語である。
白鳥は、憲法改正問題に触れながら
(全面的な改正についてはまだ言及していない)、

「Provisions containing a solemn promise 
on the part of the Emperor never, under any circumstances, 
to make his subjects fight a war, the right of the people 
to refuse military service in any form under any government, 
and the non-application to martial use of any part of 
the resources of the country. 
(いかなる状況にあっても自らの国民を戦争に参加させないという
天皇の誓い、どのような政権下でどのような形であっても
国民が兵務を拒否できる権利、国のあらゆる資源の
軍事目的での使用の完全な拒否が含まれた条文)」
を盛り込むことを提案している。

白鳥は、
「Must form the corner-stone of the fundamental law of the 
new Japan if it is seriously meant to make her 
a land of eternal peace.
(日本が、真に平和国家たらんとするならば、(このような提案が)
新生日本の基本法の礎石とならなくてはならない)」としている。
さらに
「Tenno’s mission to reign over this land in peace and tranquility
.(天皇の使命は、平和と安らぎの中で我が国を統治すること)」

「That would be a totally new departure in constitutional legislation.
(それは、憲法制度において、まったく新しいものとなる)」と添えている。

「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」

戦争放棄をうたった1947年の憲法第9条は、
全世界的な意味での革新的な条文となった。
1945年9~10月の時点で、国民の願いという形ではあるが、
日本のマスコミも戦争放棄を呼びかけてはいたが、
白鳥の手紙は、時系列的に見て
「永久的な戦争放棄」の原則を憲法に用いた最初の試みであった。
ここで、この手紙を、広く知られている出来事や
史実と同じ文脈の中で、もう一度見ていきたい思う。

誰が白鳥の手紙をGHQに受け渡したか不明
吉田は、戦前、白鳥からの依頼を受け、
長年にわたり外相を務めていた幣原喜重郎を
白鳥に紹介したことがある。
1946年1月20日以前に、手紙は、連合国軍最高司令官である
マッカーサーの総司令部に届けられていたが、
一体、誰が手紙を受け渡し(吉田本人である可能性も考えられる)、
誰が実際に手紙を読んだのかは不明である。

1946年2月1日、マッカーサー元帥に対し、
憲法問題調査委員会起草の「憲法改正要綱」が提出された。
マッカーサーは、その改正要綱を拒否、
2月3日、総司令部民政局に対し、
自ら定めた憲法基本原則
(「マッカーサー・ノート」(※1))を基盤として、
憲法草案を作成するよう命じた。
2月4日、民生局長であったコートニー・ホイットニーは、
部下を集め、憲法草案作成の作業を開始すること、
「国家主権としての戦争の放棄」という項目を含んだ
マッカーサーによる基本原則を伝えた。
2月10日、草案作成の作業は完了。
2月12日、マッカーサーが草案を承認。
その翌日2月13日、
「マッカーサー草案」は日本政府に提示された。

占領軍民政局は、天皇や日本政府に対して、
この草案を受け入れる以外の道はないことを示した。
そして、ホイットニーは、もし、このGHQ草案を受け入れなければ
複数の連合国が裁判にかけることを要求している
天皇の身柄を保障することは「困難になる」とした。
2月21日、幣原との面談においても、
マッカーサーは、
このことを丁寧な言い回しをしながらも、はっきりと認めた。

「戦争放棄」をめぐる曲折
マッカーサー草案の中で、最も議論を呼んだのは、
戦争の放棄と天皇の新しい地位に関する部分だった。
戦争放棄の宣言をする必要がある根拠として、
マッカーサーはこう発言した。

「もし日本が戦争を放棄することを明確に宣言するならば、
日本は世界の道徳的リーダーの地位を確立できる。」 

幣原が「元帥は、指導的役割とおっしゃるが、
他国は日本には追随しないでしょう」と応じると、
マッカーサーは「もし他の国が日本に付いていかなくても、
日本が失うものは何もない。
日本を支持しない国が正しくないということになるのだ」と答えた。
2月22日、マッカーサー草案は天皇によって承認され、
3月6日には、「憲法改正草案要綱」として発表された。
協議の中で、ホイットニーは、戦争放棄を前文の中で、
基本的な原則の一つとして列挙されるだけではなく、
独立した一章にすることを強く主張した。

歴史学者のリチャード・フィン(※2)と西鋭夫は、

第九条をめぐる歴史の真実は闇に覆われているとしている。
マッカーサーによれば、第九条を最初に発案したのは、
幣原であり、1946年1月24日に懇談した際に
幣原より耳にしたとのことであるが、
それは政府による草案の作成の段階であった。

吉田茂は、第九条が制定に到ったのは、
マッカーサーの全面的なイニシアチブによると認めている。
マッカーサーの「戦争そのものを法の領域外に置く」という発言から、
フィンは「日本国憲法における反戦思想は、
おそらくマッカーサーによるものだろう、
反戦思想を憲法に盛り込んだ責任は
彼が全面的に負うべきものである」との結論に到達した。
フィンは、
どうやら白鳥の手紙については全く知らなかったようである。

マッカーサーに間接的に影響を及ぼした白鳥
白鳥が手紙の中で憲法改正および
「戦争放棄」を盛り込むことについて記している部分の和訳が、
1956年、東京裁判で白鳥の弁護人を務めた廣田洋二によって公表された。
著者は、入手可能なありとあらゆる資料を精査し、
マッカーサーが、第九条の着想を幣原から受けたであろうこと
(この時のことについて触れている
マッカーサーの回顧録が出版されたのは、
手紙が公開されてから8年後のことだった。)、
そして、その幣原に影響を及ぼしたのが
白鳥である可能性は充分すぎるほどあるという結論に達した。

廣田は、「戦争放棄」の問題は、
1月24日にマッカーサーと幣原が
会談した際に話し合われたということを
(GHQに白鳥の手紙が届けられてから
たった四日後のことである)示し、
GHQ草案の作業に取り掛かるまでに、
幣原がこの手紙を読む時間は充分にあったとしている。
しかし、この廣田の論文は、
知名度の低い雑誌に掲載されたこともあってか
世間で注目を集めることはなかった。


幣原の「戦争放棄」の着想に結びつく
幣原が、白鳥の手紙から「戦争放棄」の着想を受けたが、
「A級戦犯」である白鳥のことには一切触れずに、
自らのアイデアとして、新憲法の基本原則の一つとすべきと
マッカーサーに進言したということも考えられる。
この「戦争放棄」の理念は、マッカーサーを揺り動かし、
その結果、マッカーサーは憲法草案作成にさらに力を注いでいる。
マッカーサーにアイデアが伝わるのとほぼ同時期に、
GHQに届いていた白鳥の英文の手紙をホイットニー自らが読むか、
補佐官などから手紙の要旨を伝え聞いたという可能性も考えられる。
政治問題に関して、
ホイットニーがマッカーサーに強い影響力を持っていたことは、
よく知られているところである。
もちろん、今まで申し上げてきたことすべてをもってしても、
白鳥を「第九条の発案者」と呼ぶのには論拠不充分である。
しかしながら、白鳥が影響を及ぼしたという
可能性が非常に大きいのは厳然たる事実である。

私は、この自らの推説を、博士論文公開審査会の席上
(「白鳥敏夫と日本外交(1931-1941年)」
東京大学2002年)で披露した。
多くの人が、関心をもって聞いてくれたが、
しかし、軍国主義のイデオローグとして名を馳せた「戦犯」が、
「戦争放棄」を憲法の基本理念とするという説が
あまりに大胆だと懐疑的だった。
後に、推説に関して、ロシア語で著した
「戦いの時代 ― 白鳥敏夫(1887-1949年)、外交官、政治家、思想家」
(2006年)で詳細に記述した。
今日も、白鳥の伝記と呼べるものは、この本しかない。
白鳥が英語で記した手紙のロシア語完訳は、私の論集
「The Re-awakening of Japan(日本の新しい覚醒)」
(2008年)にその他の白鳥の手紙の訳と共に収められている。

タイトル写真=日本国憲法(提供=時事)、
提供元「国立公文書館提供」
(※1)^ 天皇は国家の元首の地位にある。
皇位は世襲される。天皇の職務および権能は、
憲法に基づき行使され、
憲法に表明された国民の基本的意思に応えるものとする。
国権の発動たる戦争は、廃止する。
日本は、紛争解決のための手段としての戦争、
さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。
日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある
崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を持つ権能は、
将来も与えられることはなく、
交戦権が日本軍に与えられることもない。
日本の封建制度は廃止される。貴族の権利は、
皇族を除き、現在生存する者一代以上には及ばない。
華族の地位は、今後どのような国民的または
市民的な政治権力を伴うものではない。
予算の型は、イギリスの制度に倣うこと。
(※2)^ リチャード・フィン、1917-1998、歴史家、
アメリカン大学名誉教授、元国務省外交官。
日米関係の歴史に詳しい。


2015年12月20日 調布史の会 江崎道朗氏講演会
調布史の会 2016/01/17 に公開

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