慰安婦問題について、いろんな報道: 【櫻井よしこ 美しき勁き国へ】正定事件、外務省は旧日本軍に罪を着せるのか 名誉を守る努力をしないのは情報操作? それとも能力不足?。【日いづる国より】水間政憲、戦争抑止としてのカウンタープロパガンダを。中国兵が語った中国戦線。白石千尋氏、正定(せいてい)宣教師殺害事件とは? ~オランダ・中国の新たなプロパガンダを見逃すな。

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【櫻井よしこ 美しき勁き国へ】正定事件、外務省は旧日本軍に罪を着せるのか 名誉を守る努力をしないのは情報操作? それとも能力不足?。【日いづる国より】水間政憲、戦争抑止としてのカウンタープロパガンダを。中国兵が語った中国戦線。白石千尋氏、正定(せいてい)宣教師殺害事件とは? ~オランダ・中国の新たなプロパガンダを見逃すな。


2016.8.1 12:00 2 3 4 5【櫻井よしこ 美しき勁き国へ】産経ニュース
外務省に日本と日本人の名誉を守る気概はあるのか。
強い疑問を抱かざるを得ない。
 旧日本軍とは無関係の国際的神父殺害事件を
旧日本軍の犯行であったかのように政府高官に報告し、
中国の対日歴史非難と歩調を合わせるかのような情報操作を、
外務省が行っていた疑いがある。
 右の神父殺害事件は1937(昭和12)年、
旧日本軍の南京攻略に先立つ10月9日に発生した。
中国河北省正定で、当時フランス政府の管轄下にあった
カトリック教会が襲われ、神父9人(オランダ人神父を含め全員が
ヨーロッパ人)が殺害された。世に言う「正定事件」である。

 正定事件に関し、中国とオランダは犯人は旧日本軍、
殺害理由は日本軍が女性200人を要求したのを
神父らが断ったことだと断定する。
命を犠牲にして女性たちを守った神父は、
「徳と聖性の高い福者(聖人に次ぐ立派な人材)」であり、
列福して顕彰すべきだと
両国が2014(平成26)年以来バチカンに働きかけている。
 世界13億人弱の信者を擁するバチカンの影響力は計り知れない。
折しも中国はイギリスまで巻き込んで慰安婦問題を
ユネスコの記憶遺産に登録申請した。
9人の神父列福の動きは、中国の対日歴史戦の一部であろう。
 正定事件と中国の動きについて、私は遅まきながら
今年に入って初めて報道した。
素早く反応したのが官房副長官の萩生田光一氏だった。
外務省に調査を命じ、外務省は直ちに資料をまとめた。
要点は「日本軍は9人を殺害した。
しかし、女性を要求した事実はない」である。
 だが、外務省報告は根本から間違っていた。
それを私は読者の中林恵子さんと熊岡醇氏に指摘されて知った。
届いた資料の中に当時の在北京日本大使館員、
森島守人参事官の公文書が含まれていた。
これはスイス在住の日本人女性が
ナントのフランス外交史料館で入手したものだ。
 森島公文書は1938(昭和13)年2月13日付、
在北京フランス大使館のフランシス・ラコステ氏宛てに
日本政府が行った事件の調査結果を報告したものだ。
そこには犠牲者への深い哀悼と、日本軍が第三国の国民、
とりわけミッショナリー(宣教師)の生命と財産保護のために
取った具体的措置が詳述されているが、
最も大事なことは、犯行は日本軍ではなく、
「支那敗残兵」によるものと明記した点だ。
当時、支那敗残兵が
正定の教会に避難した人々の中に紛れ込んでいた。
物証は、彼らが事件の犯人であることを示しており、
森島氏は次のように記している。
 「その後も続けた調査では、
支那敗残兵の犯行であるとの結論を覆す証拠は見つからなかった。
従って日本政府は当該事件に関する責任を負いかねるのみならず、
占領地で起こったすべての件に関して責任をとりかねる」

 犯人は日本軍ではない、支那敗残兵であるとした森島文書は、
外務省欧亜局第二課が昭和39年2月28日時点でまとめた
「支那事変に関連する在支第三国(英米を除く)財産被害調査表」にも、
「13年(1938年)2月13日付フランス大使館宛公文を以て
回答」と記録されている。
外務省本省も、事の本質を十分に知っていた。
 それに対してフランスは13年4月16日付で、
「大使館覚書を以て本件に関しては
今後何等問題を提起せざる旨申し越」していた。
 犯人は日本軍ではなく、支那敗残兵だったという説明に、
フランス政府も納得し、
もはや同件は問題にしないと、言ってきたのである。
 ではなぜ、外務省はこの肝心の森島公文書を
萩生田氏に見せなかったのか。
外務省の罪は森島文書を見せなかったことにとどまらない。
外務省作成の説明資料で24行中20行が、必ずしも正確ではない
当時の報道や教会報の紹介に割かれている。
「宣教師は正規軍の日本兵
(Japanese soldiers of the regular army)
によって殺害されたものとの結論に達した」などという
「『タブレット』紙による詳細な記述」
なるものも萩生田氏に報告している。
 資料の最後には「日本外務省の文書」から
「9名は『満州軍により殺害』」という部分と
見舞金が支払われたことも引用されている。
 これでは誰しも、満州軍が殺害した、
満州軍は日本軍だ、
しかし見舞金の支払いでフランス側は納得したと考えるだろう。
 そこでもうひとつの疑問である。
日本の外交資料に記述された満州軍とは何か。
 当時、満州国と
中国の国境付近に展開していた軍は5つに大別できる。
大日本帝国正規軍としての日本軍、満州国正規軍としての
満州国軍、蒋介石の国民党軍、
毛沢東の共産党軍、張学良の東北軍だ。
 外交資料には満州軍と書かれているが、
それは満州国軍ではなかっただろう。
満州国軍は1937(昭和12)年10月、
日本軍の北支方面軍進攻に応じて北支に外征中だった。
北支とは黄河以北のことで正定とはあまりにも距離があるからだ。
 では、満州軍が日本軍、つまり関東軍を指している可能性はどうか。
この件については歴史家の田中秀雄氏が平成27年1月号の
『正論』に詳述した。
詳細は氏の論文に譲り、私はただ、10月8日から11日までの
連続した激しい部隊展開の中で、日本軍が
「正定事件」を起こすことなど不可能だったこと、
森島氏が当時日本政府を代表して書いたように、
正定事件は支那敗残兵、恐らく張学良の
東北軍の犯行である可能性が高いことだけを指摘したい。

 外務省は、先輩外交官の残した貴重な公文書に反して、
日本をおとしめる情報を政府高官に上げていた。
意図的な情報操作か。
それとも外務省の情報把握能力の問題か。
 私が事件の全体像を把握できたのは本稿で言及した
民間の人々の情報発掘の努力のおかげである。
本来外務省が行うべき仕事を
民間人が危機感に突き動かされて代行している。
この現状ほど、寒心に堪えないものはない。

2016年3月18日金曜日
2016-01-21 00:07

【日いづる国より】水間政憲、戦争抑止としてのカウンタープロパガンダを
[桜H28/1/8] SakuraSoTV
 (スイス国際機関勤務・ジュネーブ在住)

趣味人倶楽部 しゅみーとくらぶ
趣味人倶楽部 中国の新たなプロパガンダを見逃すな!
緊急!ジュネーブの国際機関に駐在する「白石千尋」さんが、
東京で講演した。とyoutube動画で緊急配信されてきた。
2015年12月31日 18時48分
★テーマは「正定宣教師殺害事件とは?」で、
中国の新たなプロパガンダを見逃すな」とある。

★1937年、支那の正定というところで、
日本軍が300人の慰安婦を要求した、
それを阻止しようとしたオランダの宣教師9人が
日本兵によって殺害された。
とオランダのシュラーベ財団がバチカンに登録申請している。
中国政府配下の愛国教会も申請者の仲間だと。

白石さんの研究では、
「日本軍兵による事件である、という証拠は何一つない。
犯人(の目的)は女性ではなく物品の強奪だった」と述べ、
中国は南京事件や慰安婦に
リンクさせようとしているなどと述べている。

★講演は一時間余で、
正月の気分を吹き飛ばされるかもしれないが、
視聴の価値あり、です。
###############################
では皆様、素晴らしい新年にいたしましょう。
白石千尋さん講演第2弾『正定宣教師殺害事件とは?』③ 
質疑応答  2015-12-25 mahorobajapan
『佐藤和夫の「知行合一」江崎道朗氏、白石千尋氏に聞く
「国際情報戦に如何に勝ち抜くか」』
※要点だけ抜粋 
ファスシト中国→中国に、軍国日本→日本に省略
事実なのか疑問のある部分に※?をつけました。
…昭和天皇は、戦場にあるキリスト教会の保護を希望した。
 日本軍部は、キリスト教会が利敵行為を取らない事を望んだ。
 バチカンは、中国各地にあるキリスト教会と信者を護る為に、

中立を保つ様に指示した。
 軍部とバチカンは、友好関係にあった。

正定事件。
 カトリック教宣教師9名が誘拐殺害された事件。
 1937年3月1日 板垣征四郎中将は、 第5師団長となる。
 5月8日 板垣征四郎は、勲一等瑞宝章を叙勲した。
 8月15日 蒋介石は、対日抗戦総動員令。

 8月下旬 中国軍敗残兵達は、北京郊外の
カトリック教会を襲撃し、金目の物を略奪し、
身代金を要求する為に欧米人宣教師12名と
中国人神学生多数を誘拐した。
 フランスやオランダは、
日本軍に強制連行された者達の救出を要請した。
※別のアメリカ人修道士の誘拐事件についての続報との
混同?と思われる・・

 日本軍は、出動要請を受けて、戦闘中にもかかわず
救助部隊を急派して、10月16日迄に全員を無事に救出し、
徹底した残敵の掃討戦を行った。
 中国軍敗残兵や匪賊や犯罪者達は、
キリスト教会や教会関連施設には食糧や金目の物があり女性が居て、
守るべき兵士がいない無防備状態にある事を知っていた為に、
襲撃し、掠奪、強姦、虐殺、放火、拉致など暴虐の限りを繰り返していた。
 反日派国際報道機関は、
そうした犯罪は日本軍による仕業であると報道した。
中国(国民党)は、日中戦争を欧米列強と日本の戦争に発展させるべく、
欧米諸国に関連のあるキリスト教会、神学校、ミッション・スクールを
守ると言う名目で部隊を配置して陣地とし、
大量の武器弾薬を運び込んで兵站基地とした。 
 歴史的事実として、宣教師、修道士、修道女、神学生らは
武器を持たず無防備であったが、キリスト教会及び
関連施設の敷地は高い塀で囲まれて広く、その建物は
城塞として使うには都合が良いほどに厚い壁で建てられていた。
日本軍は、そうした敵陣地への攻撃はなるべく控えて包囲し、
中立国の欧米人や戦闘員でない中国人に
被害がでないように明け渡し交渉をおこなった。
ローマ法王ピオ11世。全カトリック教徒に
日本軍への協力を呼びかけた 
(「東京朝日新聞」夕刊、昭和12年10月16日) 
(バチカン・シチー特電 昭和12年10月14日 発)

2015-04-19 12:33:11
今のご時勢、政治家や他人事にして傍観者してないで、
 ピウス11世(アッキレ・ラッティ) 1857~1939年。
オーストリアの定刻のロンバルド=ヴェネスト王国デージオ生まれ。
父は工場経営者。ミラノ大司教を経て教皇に選出。
長く外交分野で働いていたが、本来は学者で、
諸言語に通じ、古代以来のさまざまな神学的著作に精通していた。
外交分野でも経験があったゆえか、社会主義者が
様々な工作を企てていること、支那事変(1937年)の際に、
それが社会主義者の陰謀であることを的確に見抜き、
勇気を持っていちはやく世界中のカトリックに発信した。
バチカンの絵画館、ラジオ局、ローマ教皇庁立科学アカデミー等は
すべて11世のもとで作られたという。
日中戦争(支那事変)が始まった年1937年10月に、
当時のローマ法王で平和主義者として知られる
ピウス11世(在位1922~39年)は、この日本の行動に理解を示し、
全世界のカトリック教徒に対して
日本軍への協力を呼びかける声明をだした。
英文
“The action of Japanese troops was not to invade, but to protect China. 
They are fighting to get rid of communism there. As long as
 communism is in the world,all Catholic believers 
should cooperate with Japan without hesitation.”
日本語訳
「日本の行動は、侵略ではない。
日本は中国(支那)を守ろうとしているのである。
日本は共産主義を排除するために戦っている。
共産主義が存在する限り、全世界のカトリック教会、
 カトリックのビッター神父バーン神父
反対してくれたのはこのお陰だという。
 その声明を『東京朝日新聞』
(夕刊、昭和12年10月16日および17日)は、
「これこそ、我が国の対支那制作の根本を諒解するものであり、
知己の言葉として、百万の援兵にも比すできである。
英米諸国における認識不足の反日論を相殺して、
なお余りあるというべきである」と歓迎の意を持って紹介した。
 日中戦争は8年続いたといわれるが、
実際には戦闘は1年半余で終結、
1940年には、中国の華北と華中の一部を支配下におき、
その統治を親日の汪兆銘政権(南京政府)に委ねた。
日本軍は、占領地域でのインフラ建設や、経済建設を行い、
経済、財政、物価、治安の安定などに大きく貢献した。
 この法王ピウス11世が1939年に亡くなってしまったのが、
残念でしかたがない。
当時、ローマ法王は日本の行動を支持していました。
…以上、引用。

10月 ローマ法王ピオ11世(在位1922~39)は、
全世界のカトリック教徒に対して日本軍への協力を呼びかけた。
 「日本の行動は、侵略ではない。
日本は支那を守ろうとしているのである。
日本は共産主義を排除するために戦っている。
共産主義が存在する限り、
全世界のカトリック教会、信徒は、遠慮なく日本軍に協力せよ」 

10月1日 不拡大派の石原作戦部長は、
上海戦線へ大規模な増援を派遣する事態となって辞表を提出した。
 軍部は、拡大派と不拡大派に分裂していた。
10月2日 山西作戦。北支那方面軍は、太原攻略を開始した。
 ソ連は、対日軍事的、経済的制裁の実行をアメリカに打診した。
10月4日 ライフ誌は、日本軍の残虐行為を告発する為に、
上海の爆撃現場で泣き叫ぶ赤ん坊の写真を掲載して、
国際世論を反日親中に誘導した。
10月5日  国際連盟の諮問委員会は、日
本の軍事行動を九カ国条約・不戦条約違反とする決議採択した。
 国際な日本包囲網が形成され、日本を追い詰めていた。
 ルーズベルト大統領は、
シカゴで侵略国を批判する「隔離」演説を行った。
ルーズヴェルト大統領の周囲はおろかワシントンには、
ソ連のスパイとも言える共産主義者が数多くいた。
 中立国アメリカ政府は、
中国に対して対日戦の為の資金援助を行っていた。
 アメリカ軍は、大統領の許可を受けて、
正規将兵を除隊させ義勇兵として中国軍に参加させ、
日本軍と戦う為に大量の武器弾薬を中国軍に供給していた。
10月8日 第6師団は、古都正定城に突入し、
中国軍を撃破して占領した。
 中国兵士の一部は、戦時国際法を無視して、
民間人の服に着替えてゲリラ(便衣隊)となって城内に潜伏した。
10月9日 日本軍兵士の服を着た一団は、
日本軍が正定占領直後の混乱している際、
正定キリスト教会に押しけて
金品を強奪したうえに女性200人の引き渡し※?を要求した。
 司祭は、修道女達を守る為に拒否した。

日本軍兵士らしき一団は、9名の司祭と修道士を誘拐し、
身代金5万ドルを要求※?した
 一団の中に、熱河訛りの中国語を巧みに話す者が3名含まれていた。
中国は、各地で虐殺事件を起こして日本軍の仕業と宣伝した

10月10日 北支那方面軍第1軍は、石家荘を占領した。
 正定城郊外に避難していた中国人女性達が、
戦闘が終わり、日本軍によって治安が回復されたとし町に戻ってきた
 少数兵力の日本軍は、戦地で敵の大軍に囲まれ
激しく苦しい戦闘が続いていたが、
占領地の中国人の支持を得る為に彼等を匪賊や
中国共産党ゲリラの襲撃から守るべく僅かな守備隊を駐屯させた。

日本軍将兵の中には、カトリック教徒が多く存在し、
日本天皇と日本の為に戦争に参加していた。
 日本軍部は、派遣軍が戦時国際法に反した行動を取らないように
司令部に法務官を付け、全軍に対して軍紀厳守を通牒した。
第14師団、省都石家荘を攻略。

10月11日 大新京日報「(10月9日)
深い朝霧の中に行われた正定城内掃討は午前9時までに完全に終了した。
便衣に変装した敵兵はいずれも20歳前後の青年だが、
片っ端から逮捕され、午前11時、我が隊は北門外に隊伍を整え、
堂々入城、東門に向かって進んだ。
1昼夜の激戦で捷ち得た喜びに、
諸兵の顔は『我れ勝てり』の感激に輝いている。
 敵の遺棄した機関銃、小銃、手榴弾はど続々集められ、
土塀に貼られた抗日宣伝ビラは
早くも日本軍司令官の安民宣布に変わり、
周囲5里という城内中央の市街もすでに清掃されて、
にわか作りの日本旗が戸毎にはためき、老人婦女に至るまで
総動員で日本軍を歓迎している。
午後1時アカシアに包まれた市政府の豪華な建物が
日本靖郷隊の本部となり、早くも正定府の有力者による
治安維持会が成立した。
昨日まで穴を掘って
恐怖の夜を明かしていた城内に静かな喜びが訪れてきた」

 戦時国際法で認められた権利として行っていた
敵ゲリラ(便衣隊)及びスパイと工作員への拷問と
殺害及び裁判なき処刑は、東京裁判では、
如何なる理由・目的があろうとも残虐な非人道的戦争犯罪と
認定して実行犯を「人道に反する罪」として処刑した。

10月17日 河北省定州在住のシャネ神父は、
北京のカトリック教会に正定キリスト教会事件を急報し、
一団の中には日本軍に所属していた者が含まれていたと知らせた。
 カトリック教会は、連行された者の母国政府と教会に通知した。
フランス人、3名。オランダ人、3名。ポーランド人、1名。
クロアチア人、1名。チェコスロバキア人、1名(パイプオルガン技師)。
10月24日 反日的なフランスとオランダは、
強硬姿勢を取って日本を厳しく抗議した。
 在中華フランス大使館は、
日本の北京領事館・森島参事官に対して真相調査を依頼した。

森島 守人(もりしま もりと、1896年2月16日 - 1975年2月17日)は
日本の外交官、政治家。衆議院議員(3期)
1946年に外務省を退官。
1955年に神奈川3区から日本社会党左派で衆議院議員に初当選。
統一後の日本社会党では党国際局事務局長、外支部長、
政策審議会外務部長を務めた。

通州事件 冀東政府による謝罪
1937年(昭和12年)12月22日、冀東政府政務長官の池宗墨
北京大使館の森島守人参事官とが会談し、冀東政府による
謝罪と慰謝金、損害賠償120万円を交付し、事件は収束した[58]
12月24日には両政府で公文交換が行われ、
「冀東政府より森島参事官宛て書翰」では、
事件関係者が処罰または逃亡したと説明された[59]

オランダも、同様に調査を求めた。
森島参事官は、調査して返事をする事を約束し、
直ちに現地の北支那方面軍に問い合わせた。
 日本軍は、地元自警団約2,000人の協力を得て
誘拐された一団の探索と聖職者の救出に当たった。

11月10日 森島参事官は、天津の堀内総領事が送ってきた
現地軍の調査報告書機第104号を東京の本省に送付し、
更なる報告を翌38年6月まで続けた。
11月12日 バチカンも友好関係にある日本の不手際に憂慮して、
連れ去られた関係者の安否照会を求めた。

日本軍兵士らしき一団は、正定キリスト教会から
300メートル離れた木造の高塔の近くで
強制連行してきた9名を殺害し、遺体を焼い埋めて立ち去った。

11月15日 日本軍は、バチカンとの友好関係に
ヒビが入る事を恐れて中国のカトリック教会との連携強化で派遣していた、
カトリック教徒の横山彦真少佐に詳しい調査を命じた。
11月19日 横山彦真少佐と撮影班は、調査に向かう
ド・ヴィヌ司教と田口芳五郞司祭に同行して正定城の現場に入った。
11月22日 横山彦真少佐が率いる「宣撫班」は、
中国のカトリック教徒に対する慰撫工作として、
ド・ヴィヌ司教に対して被害者の厳粛な慰霊祭を依頼した。

 犠牲になった者達の追悼ミサは、日本軍関係者約30人
(うち高級将校3人)、外国人宣教師、仏教僧侶などの
列席のもとで天津司祭・モレル神父によって厳粛に執り行れ、
聖堂で日本軍司令官の弔電が読まれた。
 追悼ミサの後、横山彦真少佐は
「同様の事件が
二度と起こらないようにしなければならない」と述べた。
 日本軍当局は、国際的誤解を解く為に徹底した調査を行い、
その結果として、彼らを殺害したのは
日本軍所属の朝鮮人または満州人兵士であったという結論に達した。
 プロテスタントのスピラ宣教師は、日本軍将校から
「日本軍の中に共産主義分子がいる。
このひどい事件は彼等に責任がある」と打ち明けられた。

4月16日 森島参事官は、
フランスとオランダの両国大使館に対して、
日本からの物的損害として1万5,000円、
寄付として1万円、弔慰金として1,000円を渡した。
 フランスは、日本側の報告を受理し
「本件に関しては今後何等問題を提起せざる旨の覚書
を日本に送付した。
 オランダ外交官も、森島参事官を訪問して
日本側の説明に一応の理解を示して同事件を収束させた。
{2012年10月9日に。UCAニュースは、シュラーベン財団の
ヴィンセント・ヘルマン氏にインタビューをおこなった。
「決定的に重要な手紙がバチカンの秘密公文書で昨年見付かった。
日本軍の大佐が北京の教皇使節に宛てたもので、
そこには『彼等は伝道という理想の為に殉教した』と書かれている。
大佐はカトリックで、殉教の意味を完璧に理解している。
そしてこの手紙は70年以上前の
不明瞭な事件に終止符を打つものだとヘルマン氏は言った」}

日本及び日本軍は、犯行は中国軍敗残兵か
中国共産党ゲリラによると断定した。
 国際社会は、謝罪し、賠償金を払い、
慰霊碑を建てた事から日本軍は非人道的虐殺を認めたと認識した。
 だが。バチカンは、日本の弁明を認め、
日本軍が中国に蔓延ろうとしている
反宗教無神論の共産主義勢力を駆逐する事を望んだ。
6月29日 反日のタイムズ紙は、北京特派員の記事として
「4月16日の覚書で日本軍が殺害を認めた」と報じた。

第2節 保定作戦の完結 
7.2.1 北支那方面軍の会戦準備
北支那方面軍は9月24日、第一軍に対しては正定付近に、
第二軍に対してはフ陽に前進し、以降の作戦を準備するよう命じた。
参謀本部は9月25日に方面軍に対し、
10月における河北会戦の作戦地域を、
石家荘 (せっかそうし)―― 徳州の線を限度とするよう指示した。
また、山西方面に関しては、作戦を太源までと限定した。
さらに関東軍に対しては、一部部隊を
北支那方面軍の指揮下に置くよう命じた。
方面軍は関東軍より加えられた部隊を
第五師団の指揮下に入れると、師団に対し太原の攻略を命じた。

 第一軍主力は10月初めに保定を出撃し、前進を開始した。
10日には石家荘を占領し、その後敵を追撃して
15日には順徳を、18日にはショウ河を攻略した。
第二軍主力は第一軍と並行して前進し、敵の追撃を行った。
…。
9月下旬の作戦で保定より撤退した中国軍主力は、
おおむねコ沱河(こだか)付近に集結して
体勢を立て直しており、兵力は約23万と推測されていた。
また、津浦沿線で撃破された敵は徳県付近に集結し、
兵力は3.5万程度と見られていた。
 北支那方面軍は9月24日、
第一軍、第二軍、第五師団の追撃部署を決定した。
しかし方面軍は10月1日に、山西作戦に関する命令を
参謀本部より突然受けたほか、
10月5日には
二個師程度の兵力を上海方面に転用するよう命ぜられた。
そのため、方面軍は作戦の若干の変更を余儀なくされた。
方面軍は差し当たり第五師団を太源に進出させることを決した。

 第一軍の第六師団、第十四師団、第二十師団、
第百八師団は10月6日に一斉に前進を開始した。
軍は敵の抵抗を排除しつつ、8日には正定城を占領し、
9日には第二十師団がコ沱河の渡河を開始した。
10日には、第十四師団正面の敵に動揺が見られたため、
師団はコ沱河を一挙に渡河して石家荘を占領した。

【GHQ焚書図書開封シリーズ】中国兵が語った中国戦線。
匪賊になって生き延びた中国人逃亡兵。
ラルフ タウンゼント (著)、暗黒大陸 中国の真実。
阿片の中国史。

次世代の党 西村眞悟
別のアメリカ人修道士の誘拐事件についての続報と
二つの誘拐事件を混同して論じているものの参考に・・

まことに憂慮すべき捏造が、カトリック新聞オンラインに掲載され、
カトリック信者のネットワークを通じて、まず、世界の
全カトリック信者とカトリックの総本山であるバチカンが、
「日本人は残虐な世界の敵」だと認識し、
次にそこから世界の全キリスト教徒さらに無数の良識のある人々が、
「日本人は異常な残虐性をもつ敵」だと
思いかねない事態が進行している。
 世界のキリスト教信者は二十二億人であり、
そのうちカトリック信者は十一億六六〇〇万人であり、
良識ある人々はそれこそ無数である。 
 これは、今までの中国と朝鮮・韓国による、
南京大虐殺と従軍慰安婦の捏造による
反日プロパガンダに加えて、日本人は
西洋人の聖職者も殺戮していた人類の文明に対する敵だという
強烈なプロパガンダを可能にする捏造である。

 このことは、祖国日本を愛する女性(自衛隊佐官)から
戴いた手紙によって、
靖国神社の参拝を終えた本日朝、教えていただいた。
彼女は、知人から、カトリック新聞に気になる記事が
掲載されていると指摘され、知るところとなった。
 彼女の了解を得ていないが、一刻も速く、
諸兄姉に知っていただきたいと思い、ここに記すことにする。
1(文献1)、
April 11、20132013年4月11日
2012年10月に行われた殉教75周年の記念式典で、
日本からのメッセージを代読する深水正勝神父(手前)
 見出しは、
「旧日本軍に殺された司教、列福へ一歩前進」
そして、
「2012年10月に行われた殉教75周年記念式典で、
日本からのメッセージを代読する深水正勝神父(手前)」
との説明をつけたオランダでの
追悼ミサの写真が掲載されている。

記事の内容は以下の通り 
 昭和12年10月河北省のカトリック施設に日本軍が来て、
施設内の200名の女性を引き渡すよう要求し、
それを拒否したオランダ人司教以下9名の宣教師を殺害した。
 後日、日本軍宣撫班のカトリック信者の将校がやってきて、
追悼式を実施し、日本軍も参加した。
 昨年2012年10月に
日本カトリック司教協議会から派遣された司教が、
当時の日本の行為を謝罪した。

2(文献2)、
 1937年11月12日、26日の
 「Catholic Herald」
 1937年11月23日の
 「The New York Tims」 

 彼女は、カトリック新聞オンラインが伝える事件の日付けから
当時の「Catholic Herald」と
「The New York Tims」
の記事を調べた。

 すると、全く逆の次の事実が報道されていた!

 9人のオランダ人聖職者達は、中国の山賊に誘拐され
身代金5万ドルを要求された。
日本軍は付近の地域一帯を徹底的に捜索して山賊を追い
司教を救出しようとし、
地元自警団2000人も日本軍に協力したが、
誘拐された聖職者は山賊に殺されていた。

 この(資料2)の報道は、当時為されたものであり真実であろう。
しかも、事件から七十六年後の
(資料1)の記事の奇妙な点も解決する。
 この奇妙な点とは、日本軍将校が殺害された
司教の追悼式を実施し日本軍も参加した、という点だ。 
つまり、司教を殺害したのは中国の山賊であり、
司教を救出しようとして
懸命に付近を捜索したのは日本軍である。
従って、日本軍が追悼式を実施し
それに日本軍が参加したのである。
 これが真実だ。
 司教を虐殺したのは中国人である。
 またしてもそれを日本人が為したと捏造され
世界に流布されようとしている。誰が捏造しているのか。
 とにかく、この明々白々の捏造を反転攻勢の梃子にして
我が日本民族への侮辱を一挙に払拭しなければならない。

正定事件(せいていじけん)は、1937年10月9日、
現在の中国河北省正定において、
キリスト教・カトリックの司教ら9人が
誘拐殺害された事件である。

1.2調査後の報道
事件から5ヶ月後の1938年4月2日付『The Tablet』に
掲載されている記事[6]によれば、
当初、中国の山賊に誘拐され殺害されたと報道されていた
司教、聖職者、信徒9名について、
日本軍当局が徹底した調査を行った結果、
彼らを殺害したのは日本軍所属の朝鮮人または
満州人兵士であったという結論に達したとされる。

朝鮮人日本兵(ちょうせんじんにほんへい)とは、
大日本帝国陸海軍(旧日本軍)に所属し軍務に服した、
朝鮮人の軍人。俘虜監視員など
軍人に近い任務を行った軍属も含むことがある。
最初に陸軍に朝鮮人が大量採用されたのは
1910年に創設された憲兵補助員制度においてである。
憲兵補助員は
陸軍一等卒、二等卒に準じる処遇を受ける軍属とされた。
1919年に憲兵警察制度が廃止されると憲兵補助員は
朝鮮総督府警察の警察官に転官した。
1938年に陸軍特別志願兵制度※正定事件は1937年
1943年に海軍特別志願兵制度が導入された。

靖安軍(せいあんぐん)は、満州国軍の軍のひとつ。
編成当初の名称は靖安遊撃隊(せいあんゆうげきたい)。
満州事変の直後に関東軍の指導のもとで編成された
日本人・満州人混成の部隊である。
満州各地で匪賊の討伐作戦に従事した。
日中戦争においては華北に外征し、
のち国防軍として第1師に改編された。

さらに、横山彦真少佐(記事ではYokohamaと表記)及び
日本軍当局者、外国人宣教師、仏教僧侶などの列席のもと、
同年11月22日に追悼ミサを行い、
日本軍司令官の弔電が読まれたことも記されている。
そして、追悼ミサのあと、横山は
「同様の事件が
二度と起こらないようにしなければならない」と述べたとされる。

なお、1939年に外務省より出された
『昭和十四年二月二十八現在
支那事変ニ関連スル在支第三国
(英米ヲ除ク)財産被害調査表[7]』p36-p39に記載されている
事件の概要は、下記の通りである。…

我方現地の之に対する態度
…昭和12年11月10日付天津
堀内総領事発北京島参事官宛機第104号を以て
軍側の調査書送付11月22日正定に於て挙行弔祭式に我方参列
昭和13年2月27日北京に於て横山少佐より
見舞金として9000円 寄付金として15000円北支カソリックに手交
更に4月16日森島参事官より
仏大使館に対し物的損害に対し15000円 
寄付として10000円 其他1000円手交

※総額 五万円。
現在でいうと、およそ二億五千万円くらい

戦争中の100円は今でいうとどれぐらいの価値?
2006/8/12 03:47:59 ヤフー知恵袋
2005年の企業物価指数は664.9。
これを戦争中(1931年から1945年)の
企業物価指数で割れば、物価(通貨価値)が
何倍か計算できます…。
戦時中と一言にいっても15年もありますから変動があります。
20万から90万の間ぐらい、平均すると52万170円。

明治~平成 値段史 (2015年12月 最終改訂)
2. 給料・労賃 1935年・昭和10年 給与所得者年収712円

2013年2月21日発行の『読売新聞大阪版(夕刊)』
に掲載されている記事[8]によれば、
2012年10月13日から14日にかけてオランダで
殉教75周年を記念する式典が行われ、
日本から参加した司祭の深水正勝は式典中、
池長潤大司教の書簡を代読した。
この書簡には「フランス・スフラーヴェン司教は、
女子修道院に逃げ込んだ中国人女性の中から200人を
慰安婦として差し出すよう求められたのを拒み、
焼き殺された」という内容が記載されている。

2013年4月11日付けのカトリック新聞オンライン
「旧日本軍に殺された司教、列福へ一歩前進」[9]によれば、
殺害された9人は、フランス・スフラーヴェン司教
(聖ビンセンシオの宣教会、オランダ人)と、
主に同会のクロアチア、フランス、オランダ、ポーランド、
スロバキア出身者の司祭、修道士、信徒がおり、
厳律シトー会(トラピスト)の神父1人も含まれ、
この9人は、1937年10月9日、中国河北省の正定に入った日本軍が、
教会施設にいた避難民の中から200人の女性(少女を含む)を
引き渡すよう求めたことに抵抗したため、目
隠しされて首にロープを巻かれ、トラックで約300メートル離れた
仏塔近くに連行され殺害されたとされる。
事件から1ヶ月後の11月19日、カトリック信徒の横山少佐率いる
日本軍の「宣撫」および、司祭の田口芳五郎が現地入りし、
天津の司教を招いて同年11月22日、正定で追悼のミサを行った。
日本軍関係者約30人(うち高官が3人)も参列し、
日本軍幹部の弔電も届き、聖堂で読まれたという。

当時中国では仏教の勢力が強かったため、
キリスト教の外国人宣教師は路頭に迷うことを恐れていた[10]
そのため彼ら外国人宣教師の中には、
中国の排日運動に乗じて排日プロパガンダ伝単を発行したりなど、
排日運動を伴って宣教を行うことで
勢力を拡大するものもいた[10][11][12]

また、当時日本ではキリスト教徒の商人による婦人誘拐事件が
知られていた(ポルトガル商人の奴隷貿易)[13][14]ほか、
中国でも1900年頃に官吏学者によって
宣教師の児童誘拐の話が流布されていた[15]

殺害された司教ら9人の列福運動がオランダで進んでおり、
ルールモント教区の司教であるフランス・ウェルツは
2013年3月23日、列福の可能性を調査するため、
特別委員会を設置した。
列福(れつふく、ラテン語: Beatificatio, 英語: Beatification)は、
キリスト教、カトリック教会において
徳と聖性が認められ、
聖人(Saint)に次ぐ福者(Beato)の地位に上げられることをいう。

2013年4月11日発行のカトリック新聞オンライン
旧日本軍に殺された司教、列福へ一歩前進」掲載後、
この虐殺事件の真偽が問題視された。

確かに、カトリック新聞オンラインの記事にもあるように、
欧州側の資料では、殉教から1ヶ月半後の1937年11月22日に
カトリック信徒の横山少佐率いる日本軍の「宣撫」が
正定県で追悼ミサを行っているが、これが事実ならば[16]
「なぜ虐殺した側が、
事件発生40日後に追悼ミサを行っているのか?」
という矛盾が生じる。

しかし、1938年4月2日発行の『The Tablet』に掲載されている
調査後の報道は、犯人を日本軍所属の朝鮮人
または満州人兵士と断定し、
カトリック新聞オンラインで言及される欧州側の資料の内容と
一致する部分が多い。
この記事が事実ならば、一部兵士の軍紀違反の行動を
日本軍自らが正した事例であることになる。
そして、日本側が追悼ミサを行った理由も説明がつき、
宣撫班」の使命にも合致する。

また、事件発生当時の報道には、
事件発生から75年後に報道されたカトリック新聞オンライン
旧日本軍に殺された司教、列福へ一歩前進」にある
「教会施設にいた避難民の中から200人の女性
(少女を含む)を引き渡すよう求めたことに
抵抗したため殺害された」というような犯行目的の記載は無く、
後世に脚色された可能性は否定できない。
2013年4月23日には
西村眞悟がブログ上で抗議する[17]など波紋を呼んだ。
西村は「殺害したのは日本軍ではなく中国の山賊である。
この報道は日本人は西洋人の聖職者も殺戮していた
人類の文明に対する敵だという
強烈なプロパガンダを可能にする捏造である」としている[18]

[18] ただし、1937年11月12日発行
『Catholic herald』の記事の後半で「身代金5万ドルを要求された」
「旧日本軍は付近の地域一帯を徹底的に捜索して山賊を追討し、
地元自警団2000人も日本軍に協力した」とあるのは、
ほぼ同時期に旧満州国撫順で起きた
別のアメリカ人修道士の誘拐事件についての続報である。
西村は二つの誘拐事件を混同して論じている。

また、2013年2月21日発行の『読売新聞大阪版(夕刊)』に
掲載されている記事に対して、
教会の政治的言動を憂慮する会」から
池長潤に公開質問状が送られている[19]

池長 潤(いけなが じゅん、1937年3月11日 - )は、
日本のカトリック教会の聖職者、
カトリック大阪大司教区大司教を務めた。
洗礼名は「レオ」。
2014年(平成26年) - 8月20日、教皇フランシスコにより、
後任にトマス・アクィナス前田万葉大司教が任命され、
それに伴い大阪大司教を引退した。
大阪教会管区の管区大司教であったほか、 
2013.11.18 
 大司教様はその時、こうおっしゃらなければならないのです。

 
「本来なら、その根拠を示さねばならぬところですが、
やんごとなき事情により、それができません。
どうか御理解下さい。」 
   
これが、大司教様の持つべき「責任のセンス」です。
或いは「良識のセンス」と言ってもいいかも知れません。…
…本来は「資料の公開」でも問題ない、
何ら「非常識」ではないということも、前回お話しました。
池長大司教様と「基本的人権」「人間の尊厳」  1/8
山田視覚芸術研究室 2012年 4月 17日 火
 (池長潤 日本経済新聞 2012年4月17日)
「罪のない者がまず石を投げよ」
寺沢勝子弁護士

池長潤大司教の話は詳細には分からないが、
児童の性虐待問題を抱えるカトリック教会としても
他人事ではないはず。
むしろ、聖職者たちが
どのように子供たちを虐待したかを話した方が
説得力があったのではないか?
寺沢勝子は、別の機会に

「若い女子学生が韓国に行くなどして従軍慰安婦の問題を
懸命に学ぶ姿に感銘を受けた」と講演しているが、
慰安婦について学びたければ、
韓国には行かないことである。
そこでは、正論はタブーなのだから。

日本軍「慰安婦」解決早く 

大阪 笠井議員、池長大司教ら訴え
 日本共産党大阪府委員会は21日、

笠井亮衆院議員を招いて
「歴史の偽造は許されない 日本軍『慰安婦』問題の
真実―講演と懇談のつどい」を
大阪市で開き、会場いっぱいの250人が参加しました。
 笠井氏は「慰安婦」問題をめぐり、強制性と軍の関与を認めた

「河野談話」の検証結果の報告書を受け、
政府として「河野談話」の見直しはせずに
継承するという立場を改めて表明したことに言及。
「『談話』の見直しを画策した
『靖国派』への痛打になる」と強調しました。

 また笠井氏は、生存する被害者が

年々少なくなっていくなかで日本政府は歴史に正面から向き合い、
誠実、真摯(しんし)に誤りを認め、公式の謝罪や補償など
一刻も早い解決に尽力すべきだと指摘。
その態度こそ、侵略戦争と植民地支配の反省、
二度と戦争しない決意の試金石だとのべました。

 カトリック大阪大司教区大司教の池長潤さん、

日本軍「慰安婦」訴訟の原告弁護団を務めた
寺沢勝子弁護士が特別スピーチ。
池長氏は、中国の修道院に逃れた中国人女性を
「慰安婦」として差し出すことを拒否し、
日本軍によって殺害されたオランダ人司教の話を紹介。
「罪もない女性を性的虐待の対象にする権限」は
誰にもないと告発しました。
寺沢氏は、日本軍「慰安婦」の実態を、
訴訟を担当した
中国人女性の証言をもとに生々しく告発しました
赤旗 2014.6.23
池長潤 の検索結果 1 ~ 4件目 / 4 件

私たちは、「カトリック新聞」2012.11.04(4169)号記事、
並びに読売新聞大阪版2013.02.21日夕刊
「池長潤・大阪大司教に聞く」記事等によって、
1937年10月9日に中国河北省正定であった悲惨な事件を知りました。
初めて耳にする出来事で、非常に驚きました。
池長潤・カトリック大阪大司教は、それを日本軍の仕業として、
日本カトリック司教協議会々長の立場で謝罪しました。

謝罪の根拠となる資料の教示を、
私たちは池長大司教に求めたのでありますが、拒否されました。
仕方なく私たちは、私たちの可能な範囲で資料を探りました。
ここに提示するものは、その一部であります。
私たちの調査範囲・能力は限られており、
他所に、より重要な資料が存在するかも知れません。
読者諸賢の、御教示を賜れば幸いです。

当初私たちは、集めた資料に一切の解説を付けず、
読者に予断を与えることなく判断して頂こうと思っていました。
しかしそれは公正なようでやはり不親切であると思い至りました。
19項におきまして、私たちの現時点における見解を述べます。
読者各位は
私たちの判断にとらわれることなく、冷静にご検討下さい。

その「公開」を迷惑と思うか?
迷惑と思う場合の検討
事件は、1937年に発生しました。
今から75年以上前のことです。
「資料提供者」が“資料”を作った訳ではないでしょう。
従って、よしんば資料提供者に問い合わせがあったとしても、
彼はその所在場所を示せば良いだけのことです。
むしろ積極的にそれを広報する立場ではないでしょうか。

迷惑が掛かるとすれば、次のような場合が考えられます。
1) 大司教様ご自身がその信憑性に確信を持っていない。
2) 伝聞資料なので、
  迷惑を被る更なる第三者が出るかもしれないという危惧。
3) 情報提供者の属する組織を知らせたくない。 
4) 情報提供者に対する告発された側の当然の反撃を、
  受けて立つ覚悟が無い。
5) 実際にはオランダ側が提供した「手紙」しか無い。

連合国各国による戦犯裁判終了からでも、
既に60余年になります。
オランダは(インドネシアのこともあって)日本に対して
特に苛酷であった国です。
根掘り葉掘り調査され、
冤罪で処刑された多くの日本人がいました。
そのオランダが、何ゆえ、これだけの事件を見逃したのか
70年を過ぎて、何故突然出てきたのか。
私たちは納得のいく、確かな根拠を知りたいのです。

5. 「常識非常識」と、「罪、または罪に定める」ことの質量差
池長大司教様は、
私たちの公開質問を「非常識」であると叱責し、
それ故に要求には応じないと仰いました。
私たちは私たちの手段を非常識とは思いませんが、
よしんば非常識であるにせよ、
そのことが大司教様の回答義務を免ずるものではありません。
常識の問題と、人を断罪する問題は、相殺勘定にはなりません。
大司教様には回答する義務があるのです。
その常識はお持ちでしょうか
本件は日本国の名誉に関わる重大な問題でありますが、
個人としても、根拠なき断罪(偽証)は、大きな罪であります
私たちのその疑念を晴らす義務が、
池長大司教様にはおありです。

第一章 事件発生にもっとも近い時点の内外資料
出典:フランス国立図書館デジタル・アーカイヴ

10 支那事変ニ関連スル在支第三国(英米ヲ除ク)財産被害調査表
/1939年(原典).djvu 
レファレンス協同データベース
12月12日(土) ~白石千尋 講演会~
 (スイス国際機関勤務・ジュネーブ在住)
白石千尋氏講演「国連に対する幻想を捨てよ!」
講師紹介(各種イベント告知)佐藤和夫 三鷹市公会堂


〜国連とは国益が衝突する場である〜」三鷹市公会堂
2015.12,12 mahorobajapan
【白石千尋氏 ジュネーブ在住・国連機関勤務】
慰安婦パネル展第36回 坂東忠信先生講演
 特別ゲスト 2014-12-19 mahorobajapan

 慰安婦問題と戦後日本外交の失敗 2014/12/28 に公開
産経ニュース 2014.12.18 
【歴史戦・番外編】慰安婦問題は
外務省の戦後最大の失敗である-「国民集会」での発言­詳報

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【東京都中野区】 (12/26)
平成27年12月26日(土) 14時00分~16時30分

2014年8月19日火曜日

2015年8月17日月曜日

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