慰安婦問題について、いろんな報道: 【真珠湾攻撃から75年、安倍晋三首相真珠湾訪問】】真珠湾攻撃を経験の元米兵、総理訪問「素晴らしい」。米兵遺品の「黒焦げの水筒」で献酒 真珠湾攻撃75周年行事に参加者も万感。突如発表までの舞台裏 訪問、なぜ今?その真意は?。慰霊「祖父の思いにかなう」 交流深化に期待 元兵士や被爆者ら評価と注文。菅義偉官房長官「慰霊であり謝罪ではない」。日米首脳が現地で演説へ アーネスト報道官、 元米兵組織も訪問歓迎 「両首脳並び立つことは力強い」。安倍首相 今月下旬にハワイへ 真珠湾攻撃の犠牲者慰霊。真珠湾関連の無線日誌発見 送信所、2カ月前から緊迫 潜水艦向けに軍事情報。マイケルヨン氏、真珠湾攻撃から75年、米国政府の秘密文書に「日本の敵愾心を取り除くことが出来ないならば、 日本が最初に明白な攻撃をしてくることが望ましい。」と明記。その他関連。

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2016年12月7日水曜日

【真珠湾攻撃から75年、安倍晋三首相真珠湾訪問】】真珠湾攻撃を経験の元米兵、総理訪問「素晴らしい」。米兵遺品の「黒焦げの水筒」で献酒 真珠湾攻撃75周年行事に参加者も万感。突如発表までの舞台裏 訪問、なぜ今?その真意は?。慰霊「祖父の思いにかなう」 交流深化に期待 元兵士や被爆者ら評価と注文。菅義偉官房長官「慰霊であり謝罪ではない」。日米首脳が現地で演説へ アーネスト報道官、 元米兵組織も訪問歓迎 「両首脳並び立つことは力強い」。安倍首相 今月下旬にハワイへ 真珠湾攻撃の犠牲者慰霊。真珠湾関連の無線日誌発見 送信所、2カ月前から緊迫 潜水艦向けに軍事情報。マイケルヨン氏、真珠湾攻撃から75年、米国政府の秘密文書に「日本の敵愾心を取り除くことが出来ないならば、 日本が最初に明白な攻撃をしてくることが望ましい。」と明記。その他関連。

(2016/12/07 11:50テレ朝ニュース
真珠湾攻撃から日本時間の8日で75年です。
安倍総理大臣が訪問することについて、攻撃を経験した
元アメリカ兵は「驚いた」としながらも素晴らしいことだと話しました。

 真珠湾攻撃から75年になるのを前にワシントンで開かれた式典では、
犠牲者の名前が一人ひとり読み上げられました。
この式典に姿を見せた元海軍のリチャード・ヤングさん(94)は当時、
真珠湾で沈没した戦艦「アリゾナ」のすぐ近くで任務にあたっていました。
 真珠湾攻撃の生存者、リチャード・ヤングさん:
「(訪問の)理由は償いのためだと思う。それが本当ならば素晴らしい。
(謝罪は)悪くないだろう。でも、私たちは日本に原爆を落としている。
謝罪をし始めたらきりがない」
慰霊施設「アリゾナ記念館」から黒焦げの水筒に入った

2016.12.7 10:24 産経ニュース
【首相、真珠湾慰霊へ】
米兵遺品の「黒焦げの水筒」で献酒
【ホノルル=中村将】旧日本軍による米ハワイの
真珠湾攻撃から75周年を翌日に控えた6日(日本時間7日)、
沈没した米戦艦アリゾナの真上に立つ慰霊施設
「アリゾナ記念館」で、先の大戦による
日米双方の犠牲者を追悼する式典が行われた。

 1945(昭和20)年6月の空襲の際に静岡市上空で衝突し、
墜落した米爆撃機B29に乗っていた兵士の遺品である
「黒焦げの水筒」を持参した静岡市の零戦愛好会会長で
医師の菅野寛也さん(83)や、B29をエスコートした
米戦闘機P51の元操縦士、ジェリー・イエリンさん(92)らが
水筒に入れたバーボンを真珠湾に献酒した。

 式典には米退役軍人や軍関係者、日本政府関係者のほか、
連合艦隊の山本五十六司令長官の出身地の
新潟県長岡市から選ばれた高校生や大学生らも参加した。
菅野さんは「平和の一歩が築けたなと思う」とし、
月末に安倍晋三首相がオバマ大統領とともに
真珠湾を訪れることについては、
「よくぞ決断なさった。これで日米親善は確実に前進すると思うし、
世界平和の基礎になると信じている」と話した。
長岡市出身の新潟大2年生、渡辺亜衣里さん(20)は
日本の総理として初めてハワイの真珠湾をオバマ大統領とともに
訪問することを発表した安倍総理大臣ですが、
2人が訪問することを確認し合ったのは先月、
国際会議の場での「5分間の立ち話」でした。
アーネスト米大統領報道官(ロイター)

2016.12.6 14:24 2 産経ニュース
【安倍晋三首相真珠湾訪問】
慰霊「祖父の思いにかなう」 交流深化に期待
日米が開戦してから8日で75年。安倍晋三首相は
5日、現職首相として初めて米ハワイの真珠湾を訪問すると発表した。
「和解の重要性を発信したい」とする安倍首相に対し、
元兵士や被爆者、遺族からは評価と注文が交差した。
 「安倍首相が真珠湾でオバマ大統領とお会いするのは良いことだ」
と評価するのは、海軍兵として硫黄島の戦いに参加した
大越晴則さん(89)=横浜市。
 硫黄島では毎年、日米両国の遺族や政府当局者、退役軍人らが参加し、
日米合同の慰霊式典が行われている。
大越さんは今年5月のオバマ大統領の広島訪問を踏まえて
「オバマ大統領はよく国内の反対を押し切ってきてくれた。
日本もお返しが必要だ」と話し、慰霊を通じて
日米両国の交流が深まることを歓迎した。


一方、フィリピン・レイテ沖海戦で九死に一生を得た
元海軍中尉、加藤昇さん(94)=京都市=は
「オバマ大統領の広島訪問への返礼にすぎない。
政治的パフォーマンスの色合いが濃く、あまり歓迎できない」と言及。
「死力を尽くして米国と戦った身からすれば、どうも腑(ふ)に落ちない。
間もなく辞めるという人をそこまで厚遇する必要があるのか。
まずは靖国神社へ参拝し、
わが国の戦没者を慰霊すべきではないか」と苦言を呈した。

広島からは歓迎の声が上がった。
平和記念公園の「原爆の子の像」のモデルになった
佐々木禎子さんの兄、雅弘さん(75)=福岡県那珂川町=は
かねて「慰霊のため日本の首相が真珠湾を訪れるべきだ」と訴えており、
「本当に素晴らしいこと。亡くなった方々が安らかに眠れるよう、
祈りをささげてほしい」と語った。
広島県原爆被害者団体協議会の箕牧(みまき)智之・副理事長も
「行くこと自体はいいこと。核兵器廃絶をはじめ、
戦争は絶対反対だということを
オバマ米大統領とともに表明してほしい」と話した。
 戦没者の遺族からは謝罪ではなく慰霊目的の訪問を、との声が聞かれた。
 祖父、河原眞治さんが真珠湾攻撃で空母「赤城」の
水平爆撃機隊員として参戦した伊藤理恵さん(49)=大阪市=は
「真珠湾では米兵だけでなく、
攻撃に参加した日本兵も数多く亡くなっている」と指摘。
「謝罪ではなく、国のため命をかけて戦った日米双方の人々に敬意を表し、
慰霊することが目的なら、日本の未来を思って戦った祖父や
その戦友の方々の思いにかなうのでは」と話した。

写真左;市來健之助さん Kビジョン
一般財団法人 日本遺族会・副会長 市來健之助さん
2015年8月3日(月)~8月9日(日) 放送

 先の大戦の戦没者遺族らでつくる全国組織日本遺族会」の
副会長を務める市来健之助さん(80)は
「積極的な平和活動で非常に意義ある訪問になると思う。
いつまでも半世紀以上前のことでいがみあっていては、
成熟した国同士の関係は築けない」と述べた。

菅義偉官房長官は6日午前の記者会見で、
安倍晋三首相が今月26、27両日に米ハワイを訪問し
オバマ大統領とともに真珠湾で戦争犠牲者を慰霊することについて、
「訪問は戦没者の慰霊のためであって謝罪のためではない」と強調した。
首脳会談と慰霊を現地時間27日(日本時間28日)に行う方向で
調整している経緯も明らかにした。
 菅氏は「先の大戦に関する首相の考え方は昨年8月の
戦後70年談話にすべて尽くされている。
訪問は、二度と戦争の惨禍を繰り返してはならないという
決意を未来に向けて示すとともに、
日米の和解の価値を発信する機会になる」と強調。
「今年が真珠湾攻撃75周年ということも
首相の頭の中にあったのではないか」とも語った。
真珠湾攻撃の歴史的評価については
「専門家によって議論されるものだ」と述べるにとどめた。
 丸川珠代五輪相は会見で
「一つの傷を癒やす行為を実現できた」と評価。
山本幸三地方創生担当相は
「真珠湾で慰霊の誠をささげることは
米国民にとっては非常に意義深い」と言明した。
自民党の二階俊博幹事長は
「党としても訪問が成功するようバックアップしたい」と話し、
外交の成果を掲げ衆院解散に打って出るとの観測には
「解散を考えるのはまだ早すぎる。
そういう憶測があるが参考意見だ」と評した。
一方で「政治をやっている以上は解散を考えるのは当たり前だ」とも述べた。
 民進党の山井和則国対委員長は
「真珠湾訪問は非常にいいことだ。
解散については首相がお決めになることだ」と語った。
【ワシントン=加納宏幸】アーネスト米大統領報道官は
5日の記者会見で、安倍晋三首相が今月26、27両日に予定する
米ハワイ訪問時に、オバマ米大統領とともに演説などの形で
所感を発表する可能性があると述べた。
第二次大戦の退役軍人団体や米メディアは
おおむね安倍首相の決定を好意的に受け止めている。

 アーネスト氏は、オバマ氏と安倍首相が今年5月、
被爆地の広島を訪れたことは力強い印象を与えたとした上で
「日本の首相と米国の大統領が真珠湾のアリゾナ記念館に
並び立つことは同様に力強いものとなる」と歓迎。
日米の和解と同盟強化に資すると評価した。

 記者会見では、米国の記者から
「真珠湾攻撃は完全に不当なものだった」との指摘があったが、
アーネスト氏は「大部分の米国人は安倍首相が
『犠牲者の慰霊』のためにオバマ大統領と訪問すると
表明したことを温かく受け止めるだろう」と述べた。
アーネスト氏は安倍首相の真珠湾訪問は
あくまでも首相の判断によるものであり、
オバマ氏の広島訪問と合わせて決められたものではないと強調した。
 元米兵捕虜らでつくる退役軍人団体
「全米バターン・コレヒドール防衛兵の会」のジャン・トンプソン代表は
「訪問で示される善意と癒(いや)しは、日本が犠牲者を認識して
慰める取り組みにとり一つのモデルとなる」と評価。
他の退役軍人団体からも「首相の謝罪は必須ではない」
「日米は最強の同盟国になった」などと冷静に反応した。
米メディアも「オバマ氏の歴史的な広島訪問に対する返礼」
(ニューヨーク・タイムズ紙)などと評した。
安倍総理大臣は、今月26日と27日にハワイを訪れ、
太平洋戦争の発端となった75年前の旧日本軍による
真珠湾攻撃の犠牲者を慰霊する意向を固めました。
関係者によりますと、アメリカのオバマ大統領も
安倍総理大臣とともに犠牲者を慰霊するということです。

太平洋戦争の発端となった旧日本軍による真珠湾攻撃は、
75年前の昭和16年12月、旧日本軍の空母部隊などが、
ハワイのオアフ島にある真珠湾のアメリカ軍基地を攻撃したもので、
アメリカ軍の兵士などを中心に多数の犠牲者が出ました。
安倍総理大臣は、戦後70年余りが経過し、
ことし5月にアメリカのオバマ大統領の広島訪問も実現した中、
今月26日と27日にハワイのオアフ島を訪れ、
真珠湾攻撃の犠牲者を慰霊する意向を固めました。
関係者によりますと、安倍総理大臣は、
真珠湾攻撃で海底に沈んだ戦艦アリゾナの上につくられた
アリゾナ記念館で献花することにしていて、
同じ時期にハワイを訪れるアメリカのオバマ大統領も、
安倍総理大臣とともに犠牲者を慰霊するということです。
また、安倍総理大臣は、これに合わせて、
来月下旬に任期切れを迎えるオバマ大統領との間で
最後の日米首脳会談を行う予定だということです。
安倍総理大臣がハワイ訪問を決めた背景には、
アメリカのトランプ次期大統領が、選挙期間中、
日本を含む同盟国との関係見直しに
言及してきたことなども踏まえて、
日米の信頼関係を深め、新政権の発足後も、
強固な同盟関係を堅持する狙いもあるものと見られます。
日本の現職の総理大臣が、
アメリカの大統領とともに真珠湾を訪れて
犠牲者を慰霊するのは初めてのことです。


依佐美送信所の1941年の業務日誌(愛知県刈谷市提供)
依佐美送信所の真珠湾攻撃当日の業務日誌記録(愛知県刈谷市提供)
真珠湾攻撃で、旧日本海軍が軍事情報の無線送信に使ったとされる
「依佐美送信所」
=1989年、愛知県刈谷市(中部産業遺産研究会提供)
依佐美送信所 2005.10.4 SF作家・野尻抱介のウェブサイト
発注:日本無線電信竣工:1928年 大林組

世界最大級の長波通信設備
「依佐美送信所」公式サイト

2016.12.5 11:31 産経ニュース
真珠湾関連の無線日誌発見
日米開戦の口火を切った真珠湾攻撃で、旧日本海軍が潜水艦に向け、
軍事情報の無線送信に使ったとされる「依佐美送信所」(愛知県刈谷市)の
当時の稼働状況が記された業務日誌が見つかった。
具体的な内容は分からないものの、攻撃2カ月前の
昭和16年10月中旬からほぼ連日稼働し、
事態が緊迫していく様子が読み取れる。
共同通信が市に情報公開請求、確認した。

 日誌は1日ごとの機器の始動や停止時刻などが記載されている。
同年は6月中旬から約3カ月運休状態だったが、9月に試運転が始まった。
作戦決行を伝える暗号電「ニイタカヤマノボレ1208」が発令された
12月2日、攻撃当日の8日の記録もある。
8日は午前1時から18時間半稼働。

 同送信所はもともと国策会社の外交・通商用施設。
水中深くまで伝わる強力な電波を飛ばせたため、
戦時は軍の打つモールス信号を中継した。
日誌の備考欄の一部には「海軍ノ要求ニヨリ」
「海軍試験ノタメ」との記述も確認できる。

戦後70年の証言 2015年08月05日 安東伸昭ブログ
一式戦闘機「隼」~加藤隼戦闘隊

日本の陸軍機 写真特集 「隼」
四式戦闘機 疾風
中島 四式戦闘機「疾風」

当時、我が米国の為政者と軍の指導者は、
真珠湾に駐留していた部隊を 見殺しにしました。
ひじょうに悲しむべきことです。 
日本の攻撃が差し迫っていることは世界中が 知っていました。
新聞は攻撃が近いことを報道していました。

真珠湾攻撃が卑怯な急襲ではなかったことを知ったアメリカ人の多くは、
日本が「真珠湾を攻撃するとは 知らなかった」と、
以前とは違った理由で日本を非難しようとしますが、
これは奇妙なことです。なぜなら 下に添付した秘密指令文書で、
真珠湾攻撃のちょうど一週間前に
カリフォルニアへの攻撃に対して
準備していたことが明らかだからです。

日本から真珠湾 (PH)やサンフランシスコ(SF)を攻撃するための
最適航行ルートは知りませんが、地球儀を見てみると、
PHまでの最短航行距離はおよそ3,800マイル、
SFまではおよそ5,000マイルということがわかります。
カリフォルニアへの攻撃には準備しておきながら、
ハワイ(およびフィリピン)には
何の準備もしなかった、というのでしょうか。

更なる非難の理由は、
日本の宣戦布告が少し遅れた、というものです。
そんなことを誰が気にするでしょう?! 
我々は攻撃が差し迫っていることを「知っていた」のです。
これ以上議論の余地はありません。これは事実です。

我々の同胞は真珠湾で 死んで 生贄の仔羊にされました。
攻撃が近いことは新聞の見出しに大きく載っていました。

イラクとアフガニスタンでは、敵が、今から吹っ飛ばすぞ、
と宣言するのを待っていたりはしませんでした。 
我々は攻撃されると「知って」いました。
もしも司令官が警備隊に伝えるのを怠ったとしても
(バスティオン基地でそれは実際に起こり、
ハリアー戦闘機と海兵隊員二名を失った)、
それは敵のせいではありません。

アメリカが 宣戦布告をしたのはいつのことだったのか?
最後の宣戦布告は1941年12月7日以降のことです。
( もっと専門的に、正確に言えば、第二次大戦時を除いて、
米国は宣戦布告をしていません。
だが、真珠湾攻撃の数日後に ドイツとイタリアに、
数ケ月後にハンガリーとブルガリアに、
そして1942年6月5日にルーマニアに宣戦布告し、
それが最後の宣戦布告となりました。 
それ以来、米国は、力の行使を宣言しても、
戦争の宣戦布告はしていません。)

すなわち、第二次大戦後に我々が戦ってきた戦争、
そして、今も戦っている数々の戦争では
宣戦布告は一切されていないということです。
あれからいったい幾つの戦争を戦ってきたのでしょうか。

第二次大戦後に 米国が関与した戦争を
全て リストアップするのは 大変 困難です。
真摯な歴史学者と、おそらくCIAの助けが必要でしょう。

例えば、今日、私はあるリストをみていて
何かが足りないことに気がつきました。
チベットでの、中国に対する戦争です。

米国はこの件で宣戦布告はしていません。
ほとんどのアメリカ人はチベットでの
中国に対する代理戦争について気がついていないようです。
私はこのことをネパールの辺境の村で 偶然知り、
後にそれが事実であることを確認しました。
( 現在では前よりもよく知られるようになってきましたが。)

コロラド州でチベット東部のカム地方(Khampa)の
チベット人に装備を与え戦闘訓練を施し、
チベットに戻して中国軍と戦わせました。
しかし、後にキッシンジャーとニクソンが彼らを見捨てました。

真珠湾攻撃奇襲について 調べれば調べるほど、
そのときに亡くなった我が軍の兵士たちは、
米国政府が 日本を小突きまわし ちょっかいをかけ、
首を絞めた後、その日本をおびき寄せる生き餌として
犠牲となった、ことに気付くのです。

米国は 実際、何年にもわたって日本を攻撃していました 
— おそらく99.999%のアメリカ人は真珠湾攻撃の前に
米国が日本人を殺していたことに気がついていません。
学校で教えられてきていませんから。

下に添付の秘密文書の第一段落を見ると こうあります :
「日本の敵愾心を取り除くことが出来ないならば、
日本が最初に明白な攻撃をしてくることが望ましい。」

米国は日本の敵愾心を
取り除くようなことは何一つしませんでした。
本心では日本が攻撃してくるのを望んでいたのです。

生け贄の仔羊たち。
皮肉にも この日は米国の汚名の日として
歴史に刻まれることでしょう。

2016.12.4 07:35 2 【日米開戦75年】産経WESTニュース
届かなかった特攻機 見送った戦友よ
昭和16年12月8日、旧日本軍のハワイ真珠湾攻撃による
日米開戦から75年。元陸軍中尉の男性が
かつての搭乗機の模型を手に、
家族にも話したことがない戦争体験を初めて語った。
大戦末期、特攻を敢行するはずだったが搭乗機が届かず、
戦友の出撃を見送った。
今も無念を募らせつつ、日本を取り巻く
厳しい国際環境に
「戦争を避けるにはどうしたらいいか、
真剣に考えるときだ」と力を込める。

 男性は岡山県津山市下紺屋町の原田晴司(せいじ)さん(94)。
旧制津山中(現県立津山高)を卒業後、
「国のため軍隊の中心になって役に立ちたい」と18歳で軍人を志願。
16年4月、陸軍予科士官学校に入学した。

 陸軍航空士官学校を経て「(はやぶさ)」や「疾風(はやて)」で
戦闘機の操縦訓練を重ねた。
飛行第72戦隊に配属され、「疾風」を操って東京防空の一翼を担った。
その後、任地のフィリピンで米グラマン機との空中戦で被弾、
不時着も体験。戦局悪化著しい20年1月、戦闘機に爆弾を装着して
敵艦に体当たりする特攻の任務にあたることになった。

 「今夜、戦闘機5機が運ばれてくる。明朝、特攻出撃する」。
部隊長が読み上げた搭乗員名簿の5番目に自分の名前があった。

 「いよいよ、そのときがきた」。
津山の母親に宛てて「ここまで、育てていただき、
ありがとうございました」と遺書をしたため、
蓄えた給与を添えて内地便に託した。22歳のときだった。

 しかしその夜、運ばれてきた「隼」は4機のみ。
自分が乗るはずだった5機目は届かなかった。
出撃前夜の4人との会話は今でも思い出せない。
明け方、4機の出撃を見送り、ともに出撃できなかった無念さと、
生き延びた申し訳なさが胸を締め付けた。
 その思いは戦後の復員後も長く引きずったが、
「せっかく永らえた命。世の役に立つ生き方をしたい」と
病院で医療事務職に就き、率先して町内会長や
民生委員を引き受け、地域のために尽くした。
戦争体験は家族にも明かさなかった。
90歳を過ぎた今も「明け方のあのときの情景は
夢に出てくる。4人のことは常に頭の中にある」と目を潤ませる。
 2人の兄も戦争で亡くした原田さん。
「戦争はむごい。今の日本は平和でも世界情勢は厳しい。
戦争を避けるためにどうすべきか。
若い人の防衛意識の薄さが気がかりだが、
真剣に考えてほしい」と話している。

【戦後71年】「最後の戦没艦」の軍艦旗を靖国奉納

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2016年8月23日火曜日
現代ビジネス編集部、昭恵夫人が語った安倍首相「真珠湾訪問の可能性」。

2015年12月8日火曜日

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