慰安婦問題について、いろんな報道: 「南京大虐殺」を世界遺産にしたユネスコ事務局長の トンデモない経歴 ミロスラフ・マリノフ(ジャーナリスト)

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2016年12月3日土曜日

「南京大虐殺」を世界遺産にしたユネスコ事務局長の トンデモない経歴 ミロスラフ・マリノフ(ジャーナリスト)


※この記事は、月刊「正論12月号」から転載しました。
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 近年、日本の歴史問題が日本、中国、韓国の三国間で
政治的対立の中心となっている観がある。
「慰安婦」や「南京大虐殺」をめぐる激しい論争は
歴史の教科書を越えて、ユネスコ(国連教育科学文化機関)や
国連本体などのさまざまな国際機関にまで及び、
その結果、日本に対する攻撃は驚くべきレベルに達している。
日本人を含む世界中の人々は、国連やユネスコは
すべての加盟国を尊重し、それぞれに利益をもたらすような
合理的な意思決定ができる組織であると信じているのだろうか。
これは真実から遠い。
私は、国連やユネスコはどちらも極めて政治色が強い
腐敗した組織であると思っている。

 この国連やユネスコに対する筆者の意見は正しいのか、
と読者は思うかも知れない。
そこで、本稿ではユネスコの腐敗の象徴として、
私の祖国・ブルガリア出身である
イリナ・ボコバに焦点を当ててみたい。

 「赤い貴族」階級の出身
 ユネスコ事務局長のイリナ・ボコバ(女性)は、
典型的なブルガリア共産主義体制の申し子であり、
このことがボコバを良くも悪くも興味深い人物にしている。
彼女の個人的な性格は別として、ボコバや彼女の父親は
ブルガリア共産党の幹部で、我々庶民とは
まるでかけ離れた世界に住む特権階級の出身だった。

 一般庶民は日用品や食料品など
必要最低限のモノを買うために
毎日店の前に並ばなければならなかったのだが、
ボコバ一家のような特権階級の人々が住むのは
門で囲まれた特別居住区だった。
ここにはトラックで豊富な食料品やさまざまなモノが運び込まれ、
何の苦労もなくすべてが手に入った。
しかも、これらは政府によって
無料またはかなりの低価格で提供されたのである。

 ボコバが受けた教育やキャリアは
特権階級に属していた家族によるところが大きい。
トドル・ジフコフとゲオルギ・ボコフ(右)


March 10, 2016 なでしこアクション

ボコバの父、ゲオルギ・ボコフは共産党機関誌の編集長で、
プロパガンダ活動の中心人物であり、
1954年から89年までブルガリアで独裁体制を敷いていた

トドル・ジフコフ国家評議会議長と近い関係にあった。

筆者がソフィア大学に在学していた時に、
何度かボコフの講義を聞かなければならないことがあった。
大学で講義をするだけの知識がなく、
自分の意見を主張するわけでもない。
最初から最後まで共産党の政策を賛辞するだけの話は、
まったく退屈だった。
このような話を聞かなければならない学生は
不運だったと思っている。

 ボコフは、第二次世界大戦中に反政府のゲリラとして活動を始めた。
ソ連軍がブルガリアに侵攻し占領した後、ボコフのキャリアは
飛ぶ鳥を落とす勢いだった。
その一方で大戦中に、著名なジャーナリストで
漫画家であるライコ・アレキシエフ
スターリンの風刺画を描いたという理由で殺害しただけでなく、
人民裁判所による処刑にも関与していた。
1944年以前にファシズム政権に加担した、とされた
数千人の政治家や知識人の殺害を許可する
弾圧的な人民裁判所がソ連の命令により設置されたが、
ボコフはここでの処刑にも関与していたのである。

フィリップ・ボコフ(左)とゲオルギ・ジュニア
『犯罪者の体質を受け継いだ父と息子』(原文ブルガリア語)

 そうした父のもとで、ボコバと兄のフィリップ・ボコフ
特権階級に与えられた無限の恩恵を受けて育った。
彼らは共産党幹部だけに入学が許可された
首都ソフィアのエリート英語学校で学んだ。
1976年、将来の外交官を養成し、KGBと近い関係にあったとされる
モスクワ国際関係大学を卒業したボコバは
西側諸国を何度も訪問している。
さらに82年から84年まで、
ブルガリア政府の代表としてニューヨークに赴任した。

 この時代、一般のブルガリア人は移動が厳しく制限されていた。
共産圏内の隣国へ行くにも、毎回ビザを申請しなければならず、
地元の警察(民兵)が出国の許可を出さないこともあった。
出国できるかどうかは民兵の判断次第だったが、
ボコバはこのような不便を味わったことは一度もなかった。

 生き残った共産党系人脈

 1989年、東欧諸国の共産主義体制は終焉に向い、
ブルガリアでは11月にジフコフ評議会議長が退陣した。
この後「進歩的」な新政権が誕生したはずだったが、
ブルガリア共産党は社会党に党名が変わっただけで、
実態は何も変わらなかった。
90年の初の議会選挙で社会党は勝利し、
89年以前の共産主義独裁体制への反対派は
徐々に隅に追いやられた。
イリナ・ボコバのような人物が
再び政権の重要な位置を占めるようになった。

 1995年、ボコバはジャン・ヴィデノフ政権下で外務副大臣に、
そして翌年外務大臣に任命された。
しかし、この政権はブルガリアの歴史で最悪の政権のひとつだった。
恐るべき無能さで財政破綻を引き起こし、
それにより暴動が発生した。
多くの銀行が倒産し、ブルガリアは債務不履行に陥った。
ハイパーインフレは国民の貯蓄を奪い取り、
国民一人当たりの平均月給が10ドルにまで落ち込んだ。
このため社会党政権は退陣に追い込まれ、
より保守的な連立政権が誕生した。

 日本人がイリナ・ボコバという人物を見る時に、
ボコバを含めたブルガリア共産党特権階級の精神構造と
ブルガリアの腐敗した共産党の実態を理解する必要がある。
現在のブルガリアで、ボコバのような人物は珍しくなく、
中には犯罪組織と関係のある政治家もいる。

 2001年、元国王シメオン2世
(シメオン・サクスコブルグ)率いる連立政権が樹立し、
サクスコブルグ政権が発足した。
この時の財務大臣だったミレン・ヴェルチェフも、
父親はジフコフ時代に著名な外交官であり、
祖父も影響力のある共産党政治局員だった。
ヴェルチェフは外務大臣の在任中に、
ブルガリアで最も強力なマフィアの幹部と一緒に
ヨットに乗っているところを写真を撮られ、
大きなスキャンダルになった。
このマフィア幹部は数年後に銃撃されて死亡した。
また、現在はブルガリアメディア界の大物で
大学教授のデミタール・イワノフは、
共産主義政権時代に反体制派を
暴行、投獄、迫害したことで悪名高い
ブルガリアKGBの最後の長官だったが、
起訴されることなく現在に至っている。

 日本の人たちには理解しがたい話かもしれないが、
現在のブルガリア政権の要職を占める政治家のほとんどは
元共産党員である。
ボイコ・ボリソフ首相は父親が
共産党政権下で内務省の幹部だった。
ボリソフ自身も、ジフコフの独裁支配が崩壊し、
共産主義から社会党に移行する過程においても
共産党党員の立場を維持していた。
彼は1991年、ジフコフ議長のボディーガードになり、
その後もシメオン2世のボディーガードとして仕えた。
ボディーガードとしてのキャリアが
この後のボリソフの出世の道を開いた。
ブルガリア大統領のロセン・プレヴネリエフは
共産党時代にある都市の共産主義青年団の要職に就いていた。
彼の父親は同じ都市の共産党委員会で
宣伝活動推進の主要人物の一人だった。

 トルコ系少数派が支持する政党「運動の権利と自由」は
つい最近まで、筆者の大学の同級生だった
Failed Assassination Attempt on Ahmed Dogan 2013/01/19

トルコ系ブルガリア人のアマメド・ドガンが党首だった。
ドガンは1980年代半ばにトルコのテロリスト組織のメンバーで、
数人が殺害された事件に加担し逮捕された。
その時のことをいまでも鮮明に覚えている。
彼は数年間刑務所に服役していたが、
ジフコフ政権の崩壊後に釈放された。
その後公開された文書でわかったことは、
ドガンはブルガリアKGBのエージェント(工作員)だった。
日本でこのような人物が
政党の党首になることは考えられるのだろうか。
ブルガリアではこのような疑わしい人物が
メディアやビジネスで成功している。
ボコバもこのような仲間の一人なのだ。

 ユネスコの腐敗と偏向
 そのような理由で2009年、
ボコバのユネスコ事務局長就任のニュースは
多くのブルガリア人を憤慨させた。
独立系の報道機関は次のように指摘した。
「ボコバのキャリアの成功は彼女がその残忍性を
決して否定したことのない、共産主義によるところが大きい。
そのことをブルガリア国民に思い出させた。
共産主義の原則は体制が崩壊し社会党政権へと移行しても
ブルガリア国民は苦しい生活を強いられてきたのである」。
また、あるコメンテーターは
「1970年代から共産主義国の影響を強く受けている
腐敗したユネスコのトップにボコバはふさわしい」と皮肉った。
まさに「類は友を呼ぶ」ということである。

 ボコバのもとで、ユネスコはますます政治的になり、
不健全な運営が見られるようになったのではないだろうか。
2011年、ユネスコは
パレスチナという国家が存在しないにもかかわらず、
パレスチナ自治区の加盟を認めた。
これを受けて、米国はユネスコへの供出金を即座に停止した。
2015年、イスラエルの首都であるエルサレムの
「神殿の丘」の管理をめぐり、アラブ諸国主導で
イスラエルを批判する決議案を採択した。
ここはもともとユダヤ人が住んでいた土地であり、
1967年までエルサレムの半分はヨルダンが支配していた。
そして1948年から1967年、ヨルダンの支配下で
多くのユダヤ教礼拝堂、墓地が破壊されたのだ。

 イスラエルだけでなく、日本もユネスコの
「世界の記憶(記憶遺産)」を通して非難されるべき国として
ターゲットになっているようにみえる。
「世界の記憶」の本来の目的は、歴史的記録物を保全し、
一般人に広く公開することだが、
ユネスコによってこの目的が捻じ曲げられ、
ひどい方向に向かっているのではないか。

 2015年、ユネスコは中国の「南京虐殺」の記録を登録した。
南京虐殺については
日中で激しい議論の的になっているにもかかわらずである。
歴史の真実は歴史家によって議論されるべきであるが、
ユネスコは歴史家よりも先を行き、
不必要な議論を引き起こす元凶になっているのではないか。
中国が登録申請した文書の内容は非公開で、
日本はその詳細を確認することが許されなかった。
サウス・チャイナ・モーニングポストは、
「登録に強く反発した馳浩文科省大臣はボコバと会談をして、
日本国内からは
分担金供出の停止または減額の声が出ている」と報じた。
日本はユネスコに申請書類やプロセスの中立性や
透明性を求めたのである。
日本の要求は当然であろう。
同紙はまた、テンプル大学のジェフ・キングストン教授の
「日本は南京虐殺資料の申請を非難し、
同時にシベリア抑留資料を申請したのは偽善である」
というコメントを伝えた。
しかし、第二次世界大戦後に日本人が
シベリアに抑留されたのは議論の余地がない事実であり、
「南京虐殺」とはまったく違う。
シベリア抑留の事実は誰も否定できまい。

「南京虐殺」文書の申請には頭をひねってしまう。
仮にユネスコのロジックに従うならば、
もっと多くの文書記録が登録されるべきだろう。
1945年の英米軍によるドレスデン爆撃では
推定2万5000人以上の一般市民が犠牲になった。
広島と長崎への原爆投下や中国による
チベット人虐殺も申請するべきではないか。
1500万人が餓死したとされる毛沢東による大躍進政策や、
1989年の天安門事件は申請に値しないのか。
このような歴史的イベントの申請に対して
イギリスやアメリカ、中国はどう反応するのだろうか。

 日本人は、ユネスコという国際機関を通して
中国や韓国の格好の標的となっており、
不当な扱いを受けていることをしっかりと認識すべきである。
また中国のメディアは日本が、200人以上の日本人が
中国人に惨殺された通州事件を申請して反撃に出たと報じた。
「新しい歴史教科書をつくる会」が5月に
「通州事件・チベット侵略」と
「慰安婦と日本軍規律に関する文書」資料を、
ユネスコ記憶遺産に登録申請したと発表した。
これは大きな一歩であり、
日本人が一丸となって支援すべき活動であろう。

 【注】「世界の記憶(記憶遺産)」の英語の原文は
「memory of the world」である。
日本ユネスコ国内委員会はこれを「記憶遺産」と訳してきたが、
「遺産」に当たる言葉は原文にはない上に、
条約に基づく「自然遺産」「文化遺産」と同様に扱うのは
妥当ではないという判断から、最近は
「世界の記憶」という直訳調に訳語を変えた。
ただ、従来の「記憶遺産」になじんでしまっていることと、
「世界の記憶」だけでは文章構成上つながりが悪いことなどから、
今後も「記憶遺産」という言葉は使われていくと推測される。

 中国とユネスコの癒着

 次のユネスコの動きで注目すべき点は、
却下された慰安婦の関連資料の登録が決定されるかどうかだろう。
ユネスコは中国に対し、関係国と共同での再申請を奨励した。
最近のユネスコは隠すことなく中国寄りの姿勢を見せている。
2015年9月の新華社通信社のインタビューで、
ボコバは「中国が世界平和の理解や概念を推進する上で、
ユネスコにおいてますます重要な役割を担っている」と述べている。
このような賛辞は中国が近隣諸国に対して
軍事的な脅威になっている事実を見ると、
まったく偽善であると言うしかない。
その同じ月に、ボコバは北京での抗日戦勝記念行事に出席した。

2016年3月8日火曜日
【山本優美子】次期国連事務総長候補・ボコバ氏一族の闇 [桜H28/3/7]。
 桜H27/10/19]。その他関連。

 中国もボコバに対して賛辞を述べている。
ブルガリアのメディア24Chasa
中国ユネスコ国内委員会委員長のハオ・ピンにインタビューをした。
「中国の13億の国民は皆イリナ・ボコバを良く知っている。
彼女は卓越した指導者で、並外れた能力、
優れたグローバルなビジョンを持っている。
ユネスコで財政の問題に直面したときも
素晴らしい指導力を発揮した」と褒めちぎり、
最後に「ボコバ事務局長が示した知恵とビジョンに感謝する。
彼女こそ多くの若者の手本となり、憧れる人物です」と締めくくった。
中国を代表するハオ・ピンのボコバを最大限に絶賛する言葉を聞くと、
ボコバがどこの国に奉仕しているのかが簡単に想像がつく。

リナ・ボコヴァ「24時間」:
私は引退する理由を参照してくださいません!
24Chasa 2016年9月27日18時29分

 幸いというべきか、彼女は国連事務総長にはなれなかったが、
事務総長への立候補を決めてからのボコバは
元共産党員として中国やロシアに擦り寄り、
両国からの支持を期待していたのである。

 ボコバが事務総長に立候補したことで、
彼女のユネスコでの“実績”が、これまで以上に
メディアで取り上げられるようになった。
メディアは政治的な問題だけでなく、
ボコバの個人的な腐敗ぶりにも注目した。

 まず、ボコバはブラジルの支持を得るために、
まったく経験のないアナ・ルイザ・トンプソン-フローレスを、
Bureau of Strategic Planning(BSP)のディレクターに任命した。
この時、ロシアの著名なビジネス紙Kommersantは、
採用基準に手を加え、卒業証明を改ざんしてまで、
このポストにトンプソン-フローレスを任命するのは
重大なルール違反だと、ボコバを激しく非難した。
BSPは、戦略的なプログラムや予算を管理し、
ユネスコの予算外の財源を扱う重要な部門である。
前局長は後任者は博士号取得者を条件にと言い残していたが、
公募の原稿からは博士号が消えて
「望ましい資格保有者」に変わっていた。
さらに、ボコバが承認した最終案には、
この必須条件が無くなっていたのである。
採用のハードルを低くしてトンプソン-フローレスが
ディレクターのポストを得られるように
便宜が図られたのである。
その後トンプソン-フローレスは、
取得していない経営学修士の
嘘が発覚してディレクターの職を解任されている。

 さらに、ブルガリアのニュースサイトBivol.bgは、
アルメニアの新聞報道を次のように紹介し、
ボコバが独裁政権を支持していると非難している。
ユネスコは、アゼルバイジャンの

UNESCO Mrs Mehriban Aliyeva, the first lady of the Republic 

ユネスコ親善大使に任命していた。
これに強く抗議しているのが、
欧州で報道の自由を守るために設立されたNGOの
 Freedom(ECPMF)である。
アゼルバイジャンでは、ジャーナリストが拘束、
投獄され時には殺害されている。
このような国の大統領夫人を
ユネスコの親善大使に任命することは、
恐るべきことで到底受け入れられない。
2015年、ECPMFはメーリバン・アリイェーヴァを
ユネスコ親善大使から
直ちに解任するよう求める公開書簡をボコバに送った。
ボコバはアリイェーヴァ一家からの金銭の供与と引き換えに
アリイェーヴァをユネスコの次期事務局長の候補に
推薦するつもりではないか、と私は考えている。

 Bivol.bgの調査はボコバ一家の個人資産にも及んでおり、
ボコバと夫のカリン・ミトルフがブルガリア国外に所有する
不動産と2人の給与について詳細を公表している
(これらの文書は公開されておりすべてインターネットで検索できる)。
ボコバは2012年、マンハッタンの国連ビル近くにコンドミニアムを、
14年にも同じく国連ビル近くに2件目を購入した。
さらに、11年にパリ、
14年にロンドンにそれぞれ不動産を購入している。

 住宅ローンで購入したパリの物件を除く、
3件はすべて現金で購入しており、
約450万米ドル(約4・5億円)を支払っている。
ボコバは、ニューヨークでのインタビューで、
年収は15万米ドル
(ほぼ同額の調整手当も別途支給)だと答えているが、
Bivol.bgの調査では16万ドルであり、
ロンドンの欧州復興開発銀行(EBRD)の
代理代表取締役のミトルフの給与もほぼ同額である。
Bivol.bgは、ユネスコやEBRD、ブルガリア外務省に
情報の公開を求め、それを元にボコバとミトロフの
過去数年間の収入を調査した
(その細かい数字はここでは省略する)。
ボコバとミトルフが二人の収入から食費、衣服、旅行、
その他の支出がまったくなかったとしても、
支払える現金は約250万米ドルである。
残りの200万米ドルは出所が不明である。
Bivol.bgはユネスコに
ボコバの不動産購入に関し質問状を送ったが、
「事務局長の不動産の所有に関しては
職務とは関係がない」が報道担当者からの答えだった。

 これだけではない。ボコバは事務局長に就任すると
すぐに出張費の増額を要求した。
ミッションのための2011年度の予算として
ボコバが要求したのは80万ドルである。
これは潘基文国連事務総長の年間出張予算より多い金額である。
国際機関の予算の使われ方をモニターする
「ユネスコは管理や運営に問題あり」と低い評価を下している。
ユネスコの分担金では世界第2の日本は、
ボコバの、そしてユネスコの実態をもっと知るべきではないだろうか。

 2009年にユネスコ親善大使に任命された
フランスの著名な音楽家ジャン・ミッシェル・ジャールのような
ボコバのファンクラブのメンバーはボコバの支持を表明している。
しかしブルガリア国民は騙されない。
ボコバの立候補はブルガリアではほとんど支持されず、
支持をしてるのは一部のエリート政治家だけである。
立候補のニュースはブルガリア国民に
ボコバの後ろ暗い過去を思い出させただけだった。

 密室審議の根源

 ブルガリアの映画監督のエフゲニー・ミハイロフは、
ボコバの不誠実さ、共産党員としての過去、
ユネスコでの疑わしい運営、そしてボコバが国連事務総長に
立候補したことにブルガリア国民は愕然として、
国を二分する大きな論争になったこと、
ボコバに対する国民からの幅広い支持は
ブルガリアには存在しないことを伝える手紙を
国連加盟各国に送った。

 この手紙にブルガリアのエリート政治家はすぐに反応した。
ミハイロフは国賊と罵られ、ブルガリア人の誇りとなるであろう
ボコバが国際的な地位を得るチャンスを台無しにしたと非難された。
ボリソフ首相は、安倍首相を含む数カ国の首脳に手紙を送り、
ブルガリア政府は引き続きボコバを支持することを表明した
(しかし、のちにブルガリア政府は
なぜかボコバへの支持を取り下げている)。

 そして、ミハイロフを積極的に攻撃したのが
ブルガリアの社会学者であるアンドレイ・ライチェフだ。
共産主義のブルガリアで筆者はライチェフと同じ
アカデミーで働いていたので、今でも覚えている。
彼は進歩的なインテリとして振るまっていたが、
実際はジフコフ政権に近い人物だった。
ライフェフはブルガリア軍の高官の娘と結婚したので、
共産主義体制が崩壊し
「新しい」ブルガリアになっても特権階級を謳歌していた。

 ブルガリアの60名の知識人がミハイロフの
反ボコバの行動を非難する公開書簡を
メディアや国際機関などに送ったが、
ライチェフもそこに名前を連ねていた。
これらの知識人は、ボコバは
バルカン半島の複雑な関係だけでなく、
世界の外交や国際関係、宗教紛争を最も良く理解しており、
国連をリードするにふさわしい人物である
…とあきれた持論を展開した。

 インターネットで公開されているブルガリアテレビの
討論会にも筆者のソフィア大学時代のクラスメートが出演していた。
カリン・ヤナキエフといい、現在大学で神学を教えている。
彼もミハイロフと同様、ボコバのこれまでの出世は
共産党幹部だった父親の七光りであり、
彼女を支持することは倫理に反する、とボコバの立候補を批判した。

 例えば、ナチス・ドイツの高官だった
ヘルマン・ゲーリングの娘が立候補することは、
国際的に認められることだろうか。
ファシズムと違い、共産主義が
きっちりと非難されたことはなかったのであり、
重大な問題であろう。

 イリナ・ボコバのユネスコでの腐敗ぶりは、
ブルガリアの戦後の歴史と深く関係している。
共産主義体制下で特権を享受してきた党幹部とその家族は、
皆ボコバと同様の思考回路であるといっていいだろう。
不正行為を働くことに罪の意識を感じないボコバが、
ユネスコ記憶遺産の申請審議を密室で行ったことは驚くべきことではない。
ボコバの腐敗の芽はブルガリア共産体制下で養われ、
ユネスコ事務局長に就任後も続いた。
ボコバの腐敗は中国共産党の
腐敗の実態とぴったりと重なるように、私には思えてならない。

 さて、日本はどのようなユネスコ対策を講じるべきだろうか。
まず、ユネスコの腐敗ぶりや不正の数々を調査し
すべて公開することである。
日本人が持っていると思われる、
「ユネスコは国際平和と人類の福祉を促進する」
という幻想を捨てなければ、組織の実態は分からない。
そして、米国が分担金支払いを停止している今、
世界最大の分担金を払っている日本は
ユネスコに対して毅然とした態度で、アメとムチを使いながら、
組織の改革を要求すべきであると、私は考えている。

 10月の中旬にユネスコで新たな展開があった。
イスラエルの東エルサレムの聖地に関する決議案が採択され、
イスラエルがこれに抗議している。そしてこれより大きな展開は、
日本政府がユネスコへの分担金を保留していることである。
政治的なゆすりのための道具に成り下がった
ボコバ率いるユネスコは今、岐路に立っている。

 当事国の主張が対立する歴史問題に
ユネスコが関わることは、
さらに対立を深めることにしかならない。
対立する歴史問題は歴史家に任せるべきである。
そして、日本政府に望むことは、制度改革を含めた
日本のすべての要求を
ユネスコにのませるために決して妥協しないことである。

 ■ミロスラフ・マリノフ氏 1958年、ブルガリア生まれ。
ソフィア大学哲学科を卒業後、
ブルガリア科学アカデミー哲学研究所にて博士課程修了。
ソフィア大学准教授を経て、現在はカナダで、
政治や社会哲学を中心に
フリージャーナリストとして執筆活動中。

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【ブルガリア出身ジャーナリスト記事】ボコバ一族の闇
現在ユネスコの事務局長で、国連の次期総長に出馬する
ブルガリア出身の女性イリナ・ボコバ氏について、
同国出身のジャーナリスト、ミロスラフ・マリノフ氏が書いたコラム
「ボコバ一族の闇」をご紹介します。
ボゴバ氏が北京で行われた抗日戦争勝利70年記念行事
(2015年9月)に出席したのも、
南京大虐殺の記憶遺産の登録を決めたのも、
このコラムを読んで彼女の背景を知ると頷けます。

【コラム著者 ミロスラフ・マリノフ(Miroslav Marinov) 】
カナダ在住のライター・フリーランスジャーナリスト。ブルガリア出身。
ソフィア大学哲学科を卒業後、ブルガリア科学アカデミー哲学研究所
にて博士課程修了。北米の政治を中心に執筆活動中。
近著は Lynched:The Media War against Rob Ford

★ 英語版 Bokov Family ENGLISH PDF
ボコバ一族の闇
~イリナ・ボコバは国連事務総長としての資格があるのか~

ミロスラフ・マリノフ
ボコバ一族が権力中枢にのし上がった背景
次期国連事務総長として最有力視されている
現ユネスコ事務局長のイリナ・ボコバは、
これまで以上にその個人的資質や
経歴が注目を集めることになると思われる。
イリナのキャリアは、共産主義国家ブルガリアの
支配階級だけが有する特権によってもたらされたものであり、
その生い立ちは腐敗した組織である国連に深く共鳴している。

ボコバ家という特異な一族がブルガリアの権力中枢に
上り詰めることができたのは、第二次世界大戦中の
激動のブルガリアの歴史を
振り返る事によって説明ができるだろう。

当時のブルガリアにおける共産主義運動は、
常に取るに足りないもので大きな流れとなることはなかった。
1939年、スターリンとヒトラーの間で独ソ不可侵条約が締結されて
「友好関係」が結ばれ、コミンテルンは各国の共産党に対して
ナチスドイツを支援するように指示をした。
1941年3月、ブルガリアの「ファシスト」政府
(実際にはファシスト政権ではなかった)は枢軸国に入り、
ブルガリア共産党はその政府の決定を支持しなければならなかった。
つまり、反ファシズム戦線を棚上げせざるを得なかったのである。
ブルガリア共産党は、1941年6月にナチスドイツがソ連に侵攻した後に、
初めて反ファシズム政党としての活動を開始した。

ブルガリアはナチスドイツと同盟を結んだが、
当時のブルガリア国王はあらゆる手段を用いて
自国が戦場にならないように尽力した。
ソ連には軍隊を送らず、ヒトラーの度重なる要求にもかかわらず
ユダヤ人の送還、すなわち強制収容所に送ることを拒否し続けたのである。
当時、ブルガリア共産党のレジスタンスは惨めな状況にあり、
どこからも大規模な支援は受けられず、
1000人規模の党員が森に立てこもって
実現不可能と思われる政権打倒の機会を狙っていた。

共産党の状況が劇変したのは、ソ連軍がブルガリアに侵攻した
1944年9月のことである。
1944年9月8日、ソ連がブルガリアに侵攻し、翌日の9月9日、
合法的政権であった当時のブルガリア政府は、
祖国戦線(Fatherland Front)と呼ばれた陸軍将校グループの
クーデターにより退陣を余儀なくされた。
ソ連がブルガリアを占領するやいなや、ブルガリアの共産党員は
新政府で主導的な役割を担うようになり、最初の数日間で
「古い秩序」の支持者であった20万人もの国民を粛正したのである。
粛正の犠牲となった人々の大多数が高等教育を受けた人々であった。
正確な犠牲者数は未だに公表されていない。
その後、ブルガリア共産党が「人民裁判所」を設置し、
これにより5万人近くの人々が
「ファシズム」を支持したという罪で投獄されたり、
殺害された。こうして欠員となった当時の政府や
教育機関の数々のポストを埋めたのは、
共産主義に対する熱意のみが認められて
選ばれた教育程度の低い労働者や農民達であった。

これが、ボコバの一族が共産党政権下で
頭角を現してきた歴史的な背景である。

イリナ・ボコバの父親である
ゲオルギ・ボコバが殺人事件に関与

ボコバ一族の家長であるゲオルギ・ボコフ (Georgi Bokov) *は、
無学の農民の息子であった。
ゲオルギは1940年にブルガリア共産党の党員となり、
1942年から1943年までソフィア大学で法律を学んだ。
しかし、過激な共産主義活動を行ったゲオルギは、
大学入学1年目で退学処分となり、その後反政府武装グループの
「政治委員」となった。1944年9月のクーデター以降、
このようなゲオルギの活動が彼の共産主義活動家としての
キャリアを切り開いていったのである。

ゲオルギは、当時ブルガリアで人気のジャーナリストで
漫画家であったライコ・アレキシエフ (Raiko Aleksiev) の
殺害に及んだ民兵らの残虐行為に積極的に関与していた。
1944年のクーデター後に、アレキシエフは第二次世界大戦中に
スターリンの漫画を出版したことを罪に問われて逮捕され、
獄中で民兵による拷問を受けて死亡した。
共産党政府はその事件を隠ぺいしようとしたが、
ゲオルギが重い靴でアレキシエフに殴る蹴るの
暴行を働いたと証言する者が現れた。

アレキシエフが獄中死すると、彼の遺体は棺桶に密封され、
決して棺桶の蓋を開けないようにという命令と共に
家族の元に送り返された。
しかし、アレキシエフの妻はその命令に従わなかった。
棺桶の蓋を開けた妻が目にしたのは、体中の骨を折られ、
睾丸までも潰された無残な姿に変わり果てた夫の遺体であった。

アレキシエフが殺害された直後に、
残された遺族は自宅から追い出された。
当時、このような「国民の敵」に対する措置は、
よくあることであった。
被害者が殺害あるいは追放された場合、
その自宅は没収され、
「貴族階級」の共産党員に与えられたのである。

ブルガリア共産党に対する
徹底した忠誠心を表明し続けたゲオルギは、
地元の党委員会で短期間働いた後、
1946年にプラウダのブルガリア版と言える共産党機関紙
(Rabotnichesko Delo (Workers’ Action))に職を得ることができた。
ジャーナリストとして相応しくない経歴であったにもかかわらず、
ゲオルギは1958年には党機関紙の編集長となり、
更には1960年、ブルガリアのジャーナリスト労働組合委員長に就任し
1976年までの16年間その役職を務めた。
また、ブルガリア共産党中央委員会のメンバーにも選出された。
しかし、ゲオルギは1976年に突然全ての党役職を解任され、
早期退職をしてしまった。
その理由は、未だに明らかにされていない。

ブルガリア共産党書記長のトドル・ジフコフは、スターリンとは異なり、
揺るぎない支配を確立するために政敵を寛大に扱い従順にさせ、
ジフコフ支配の35年間の間に政権内であえて彼に挑戦する者が
誰も出てこない空気を醸成することに成功した。
ジフコフ書記長の融和戦略により、退職後もゲオルギは
在職中と変わらない特権を維持することができた。
ゲオルギはジフコフに従順な共産党幹部の一人だったのである。
彼は1989年にその生涯を終えた。

特権を享受するボコバ一族

1944年、ゲオルギ・ボコフは、共産党党員で後に妻となる女性、
ナデジダ (Nadezhda)と出会った。
ナデジダは、当時既婚者で幼い息子がひとりいたが、
離婚してゲオルギと再婚した。その後、ボコバ夫婦に
二人の子どもが生まれた。
フィリップ・ボコフ(Filip Bokov,1948年~)と
イリナ・ボコバ(Irina Bokova,1952年~)である。
フィリップとイリナの兄妹は、共産党支配階級出身者として、
生まれた時から特権を最大限に享受して育てられた。
両親が「資本主義とファシズムに対抗する
「アクティブ・ファイター」と呼ばれる共産党幹部であったことにより、
フィリップとイリナ兄妹には更なる特別待遇が与えられた。
当時ブルガリアでは、大学を含めて全ての教育が無償であった。
しかし、ブルガリア国内の大学が全ての入学希望者を
受け入れることは不可能だった為、大学入学試験は熾烈を極めた。
特権階級出身で「アクティブ・ファイター」の子弟であったボコバ兄妹は、
このような社会状況にもかかわらず、
本人の能力や学業成績に関係なく
ブルガリア国内のどの大学にも
無試験で入学が許可されたのである。

外交官になるべく教育を受けたボコバ兄妹は、
一般市民は入学ができないソフィアのエリート英語学校を卒業し、
その後モスクワ国際関係大学に進学した。
このように海外の大学で教育を受けることが出来るのは、
著名な共産主義者かシークレットサービスの協力者の子弟のみである。
ブルガリア共産党あるいは「ふさわしい人物」の子弟であれば、
望むキャリアを何でも手に入れられる。
それは、実に簡単で当然なことでもあった。

家庭崩壊に直面した兄フィリップ・ボコバ
イリナの兄フィリップ・ボコフは、1974年にブルガリア外務省に入省、
1986年に駐英大使に就任した。1989年、共産党政権が崩壊したが、
そのことは彼のキャリアに大きな影響を及ぼさなかった。
ブルガリア共産党からブルガリア社会党へと党名が変更されても
中身は変わらず、党員や上級幹部はそのまま党に残り、
1990年に実施された最初の「自由」選挙では社会党は
不正行為とプロパガンダで勝利を手にした。
フィリップは、その後すぐに社会党の
著名な政治家として知られるようになった。

1970年代に、フィリップは党中央委員の娘である
ユリア・ブラディコバ (Yulia Vladikova)と結婚した。
ユリアは、1973年にソフィアで車を運転中に
スピードを出しすぎ老女をはねて死亡させるという事故をひき起こした。
この交通事故の犠牲者の家族は正当な裁判を望んだのだが、
事故はもみ消され、ユリアが加害者として罪に問われることはなかった。
また、ガーディアン紙(The Guardian)が駐英大使として
フィリップがロンドンに赴任中に、
ユリアが幾度か万引きをしたことを記事にした、
とブルガリアの新聞は報道している。
ユリアの行動は窃盗癖や不安定な精神状態のせいであるとされたが、
それによってフィリップのイギリスでのキャリアに終止符が打たれた。

フィリップとユリア夫妻にはゲオルギ
 (Georgi、フィリップの父親と同じ名前)と
ビリアナ(Bilyana)という二人の子どもがいた。
政治的影響力を持つ父親の存在はゲオルギ・ジュニアに
様々な機会を与えてくれたはずであったが、
彼が選んだのは犯罪への道だった。
ゲオルギ・ジュニアは悪名高い自動車泥棒となり、
1993年の逮捕を始めとして、その後何度も逮捕された。
拳銃の不法所持を含め、有罪判決を4度も受けて服役した。
2001年には盗難車を運転中に警察から追われ、
逃げる途中に交通事故を起こして重傷を負った。
フィリップはこうなってようやく息子の更生を諦めて
ゲオルギ・ジュニアと縁を切ったのである。

フィリップの娘ビリアナは弁護士になったが、
家庭崩壊による精神的ストレスは相当なものだったのだろう。
ビリアナは、2003年に自宅で首をつって自ら命を絶ってしまった。
何度も繰り返された
兄の犯罪が自殺の原因ではないかと噂されている。

フィリップの家庭は、ビリアナの死後
ますます家庭崩壊への道を突き進んでいった。
ゲオルギ・ジュニアは母親との折り合いが悪く、
ユリアは息子ゲオルギ・ジュニアから
幾度も暴行を受けたと訴えていた。
最悪の事態が発生したのは2006年のことである。

ユリアが自分の手術費用をゲオルギ・ジュニアから
借りていたのだがそれを期限までに返済しなかった為、
彼が母親の自宅に押しかけた。
二人は口論となり、ジュニアは母親に殴る蹴るの暴行を加え、
大怪我を負わされたユリアは警察に被害届を提出したのである。

更に2011年の8月、ゲオルギ・ジュニアと妻のマリアは
田舎道を運転中に交通事故を起こしてしまう。
スピードの出しすぎでコントロールを失ったジュニアの車が
観光バスと正面衝突し、バスの乗客19人が負傷した。
ジュニア夫婦は即死であった。
夫婦の遺体は地元の遺体安置所に運ばれたが、
フィリップもユリアも遺体の引き取りを拒否し、
ジュニア夫婦の遺体はボコバ家の墓には埋葬されなかった。
ブルガリアの新聞のインタビューでユリアは
「息子は罰を受けた」と心境を語った。

イリナ・ボコバのスキャンダル
イリナ・ボコバ自身も、問題の多い人物である。
モスクワ国際関係大学を卒業後、兄のフィリップの監督下で
ブルガリアで働き始める。
イリナは、「輝かしい」経歴により国連のブルガリア政府代表部の
3等書記官となり(1982年~1984年)、その後昇進を重ねて
ブルガリア外務省書記官としてニューヨークに駐在することとなった。
兄と同様に、共産党政権の崩壊は
彼女のキャリアにとっては追い風となった。
1990年、ブルガリア議会の議員に当選し、
1995年から1996年まで外務大臣としての任期を務めた。

イリナのキャリアが上向きになってきていた頃、
ブルガリアの新聞が彼女のスキャンダルを掘り起こしたことがある。
義理の姉、ユリアがひき起こした人身事故と同様に、
イリナ自身も1986年にソフィアで車を運転中に
老婦人をひいて死亡させてしまっていたのである。
すでに退職していた父親ゲオルギがコネを使い動いたため、
イリナは事故の罪に問われずに済んでいる。

イリナがユネスコの事務局長として選出された後のことであるが、
アメリカン・スペクテイター誌(The American Spectator)が、
1980年にブルガリアから亡命した元外交官から聞いた話として
イリナのニューヨーク駐在時代のスキャンダルを暴露している。
その元外交官は、イリナは筋金入りの共産党路線の
プロモーターではあったが、彼女の行動は「優れた」共産党員の
倫理からは程遠いものだったと回想していた。
当時、イリナは最初の夫であるジャーナリストの
ルブミア・コラロフ(Lyubomir Kolarov)と一緒に暮らしていたが、
夫が大酒飲みだったために二人の関係はうまくいっていなかった。
そのうえ、イリナは同僚の外交官カリン・ミトルフ(Kalin Mitrev)と
密かに付き合い始めていたのである。
アメリカン・スペクテイター誌に掲載された記事は、
イリナとカリン・ミトルフの
不倫騒動を面白おかしく次のように述べている。

「ミトルフの父親が共産党の幹部だったことから
イリナとミトルフの不倫関係はずっと 秘密にされてきていたが、
ある事件をきっかけに公になってしまった。
ある夜、マンハッタンのアッパーイーストサイドのある
アパートの外に、多くの人々が集まっていた。
当時のボコバの夫であるコラロフが、自宅アパートの
11階バルコニーから1階下のミトルフが住む
部屋のバルコニーに飛び移ろうとして、
ぶら下がったまま動けなくなっていたのである。
コラロフがイリナとミトルフとの
密会の現場を押さえようとしていたのは明らかだろう」

この事件の後、イリナはアメリカから本国に召還された。
ブルガリアの腐敗した政治環境下においては、
このような逸脱行為があったとしても当時者の政治家や
官僚としてのキャリアが脅かされることはない。
ニューヨークでの不倫騒動がイリナ・ボコバの
キャリアを傷つけることはなかった。
甥の犯罪歴が原因でイリナが
駐英大使になれなかったという噂が流れたことがある。
その噂は本当だったのかも知れないが、
甥のゲオルギ・ジュニアの犯罪歴がイリナの昇進を
妨げるようなことは無かった。
うわさが広まった直後、イリナはユネスコのブルガリア代表と
駐仏大使に任命され、2009年には
とうとうユネスコ事務局長に選出されたのである。
そして現在、イリナ・ボコバは
次期国連事務総長候補のトップランナーである。

腐敗した国連、ブルガリア政府と
イリナ・ボコバは完璧にマッチ
暗い想像力をかき立てるハワード・フィリップス・ラヴクラフトや
スティーブン・キングのような作家でも、
ボコバ一族のおぞましい過去のようなストーリー展開は
思いつかないのではないだろうか。
ブルガリアでは「ボコバ一族はジプシーに呪いをかけられた」
などと噂する人がいる。
しかし、ボコバ一族の闇を説明することは簡単である。
ボコバ一族は善と悪の概念の基準が曖昧か、
または善悪の概念自体を否定する非道徳な社会の産物なのである。
ブルガリアでは、共産党の利益と
その支配階級が何よりも重要なのである。
多くの東欧諸国では、共産党政権の崩壊後も
人々の精神構造は変わっていない。

イリナ・ボコバはスキャンダルにまみれた人物だと思うかもしれない。
しかし、オバマ大統領やヒラリー・クリントン、
カナダのジャスティン・トルドー首相が
政治の腐敗に貢献していることを考えれば、
ボコバの腐敗ぶりは珍しいことではない。
類は友を呼ぶである。
イリナ・ボコバが自身の過去より醜い国連という
組織の次期事務総長の座を狙っている事実を考えると、
彼女のようにスネに傷を持つ人物を
他者がコントロールするのはたやすいことだろう。
国連がサウジアラビアのような野蛮な国に人権を「擁護」する
人権理事会のポストを任せるのであれば、
後ろ暗い過去を持つイリナ・ボコバは
役に立たない組織である国連にとって理想的な人材と言えるだろう。

※ブルガリアでは、女性の場合名字にaを付けます。
これはスラブ語圏では一般的で、
イリナ・ボコバの場合父がゲオルグ・ボコフ
(Georgi Bokov)なので、Bokovaとなります。

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