慰安婦問題について、いろんな報道: 徳光和夫、黒木奈々さん惜しむ。黒木奈々さんが教えてくれたこと。アナウンサーの黒木奈々さん死去…胃がん闘病。黒木奈々、スキルス胃がんステージ3とは!?

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2015年9月24日木曜日

徳光和夫、黒木奈々さん惜しむ。黒木奈々さんが教えてくれたこと。アナウンサーの黒木奈々さん死去…胃がん闘病。黒木奈々、スキルス胃がんステージ3とは!?

フリーアナウンサーの黒木奈々さん
【写真】ことし1月4日に放送したNHK「国際報道2015」で
約4カ月ぶりに出演した黒木奈々さん
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/09/24/jpeg/G20150924011191350_thum.jpg
徳光和夫、黒木奈々さん惜しむ「女性版の久米宏さんになると…」
2015年9月24日 05:30 スポーツニッポン
胃がんのため19日に亡くなったフリーアナウンサー、
黒木奈々(くろき・なな)さん(享年32)の葬儀・告別式が23日、
東京・青山葬儀所で営まれた。

  参列したフリーアナウンサーの徳光和夫(74)は

「女性版の久米宏さんになると思っていた」と惜しんだ。
バラエティー番組で「イチ押しのキャスター」とし て黒木さんを紹介。
本人から感謝の手紙をもらったことで文通するようになったといい
「手紙に病と闘って生還するとつづっていた。残念だ」と話した。

 若林理紗(28)ら同じ所属事務所のフリーアナウンサーらが参列。

NHK BS1の「国際報道」で共演していた同局の有馬嘉男キャスターは、
海外出張中のため音声メッセージを寄せ
「気遣いが細かく、負けん気が強くてちゃめっ気もあった」と悼んだ。

2015.9.22 13:35  サンスポ
フリーアナウンサー、黒木奈々さんが教えてくれたこと
/芸能ショナイ業務話
19日にフリーアナウンサーの黒木奈々さんが胃がんのため逝去した。
 昨年8月に胃がんと診断され、
同9月に胃を全摘出してからわずか1年。
32歳の若さで旅立ってしまった。
  NHK BS1の「国際報道2015」の月曜キャスターとして
活躍された黒木さん。
胃がんが告知されたのは同番組のメーンキャスターに
抜擢(ばってき)され、約4カ月という時期で、
それから闘病生活を経て今年3月末に週1回ペースで復帰した。
最後の出演は7月13日。その後に発覚したがん治療のため休養に入った。
 あまりに過酷すぎる運命で、同じ世代の誰もが衝撃を受けたと思う。
 働き盛りで、これからもっと仕事で飛躍したいと奮闘している時期に、
思いがけない大病に襲われたら、誰もが目の前が真っ暗になる。
30代に入り、結婚をして子供を産んで…と
自分の人生をリアルに考える年齢でもある。
 黒木さんも、いろんな未来に希望を描き、情熱を燃やしていたと思う。
あまりに過酷すぎる自分の人生に衝撃を受け、
何度も何度も悔やし涙を流したはずだ。
 何もかも見失っても仕方がない状況の中、
それでも彼女は前を向いていたという。
「絶対にキャスターとしてもう一度復帰する」と関係者に言い切り、
お見舞いに訪れた人にも明るく接し、
今月に入って自宅療養に切り替えてからも、仕事復帰を信じていたという。
 そんな彼女が遺した初エッセー「未来のことは未来の私にまかせよう」は、
胃がん告知、闘病の様子がつづられた本だ。
  がんが寛解する前に記された本は、同年代の女性がもしがんになったときに、
自身の体験談が力になれると書かれたもの。
不安な中、病気になった自分に向き合い、
弱い部分もさらけ出した黒木さんは、本当に強い女性だったし、
報道キャスターらしく最期まで真摯(しんし)に“伝えた”人だったと感服する。
  「もう一度誰かと恋ができるのだろうか」とつづられた女性の本音や、
過去に1度取材した巨人OBの松井秀喜氏から手術後、
共通の知人を通じて「病気を場外 まで打ち飛ばしてください!」と
直筆メッセージを書かれた野球のボールが届いたことを明かし、
「うれしくてたまらなかった」とつづったエピソードも、
病気 の中で頑張ろうと自身を鼓舞していた姿が浮かび上がる。
 22日に通夜、23日に葬儀・告別式が行われる。
 走馬燈のように駆け抜け、仕事を愛し、向上心を失わなかった
黒木さんのご冥福を心からお祈り致します。(記者のきもち)
NHKBS1『国際報道2015』キャスター黒木奈々さん 
がん闘病で揺れ動く気持ちを綴った手記を刊行 BungeishunjuLtd

黒木奈々は、鹿児島県出身のフリーアナウンサー。
身長172cm。血液型A型。セント・フォース所属。 ウィキペディア

ki-oの気になる日記
黒木奈々さんが患っていた胃がんは
  ステージ3まで進行していたようだ。
もしかしてスキルス胃がんではと思われているが  
明言されてはにないので定かではない。
若く知的で美しい黒木奈々を突然襲った病気の胃がんとは
一体どういった病気なのでしょうか?
スキルス胃がんとは?
 
ステージ3とはどのような状況だったんでしょうか?

スキルス胃がんとは
がんは深さとリンパ、 臓器への転移状況によって

病期分類されます。 
胃がんは、胃の壁にある粘膜内の細胞が、
何らかの原因でがん細胞になったものです。
それらが徐々に広がっていく病気です。
 
そのため、がん細胞が表面に見えている状況のため、  
定期的に健康診断していれば、
早期発見ができ治る可能性が高い病気だ。

しかし、スキルス胃がんは表面ではなく 

粘膜の下で症状が広がるので、 発見することが困難な病気らしい。
胃が固くなり、弾力性がなくなるので

バリウム検査などで発見されることが多いそうだが
この時点でかなり進行している状態です。
スキルス胃がんは、 胃がんの中で、10%程を
占めていて、 特に若い女性の30~40代に多く、
黒木奈々さんにも 当てはまっていました。
そして、 アナウンサーの逸見政孝さんや、
アイドルだった堀江しのぶさんもスキルス胃がんでした。


ステージ3とは  
黒木奈々さんが出した著書にステージ3と
明言していたが、 このステージとは、
進行度を表し、 ステージ1~4まである。

ステージ4はほとんど末期で

5年生存率も10%を切る数値である。
そのため、黒木奈々さんの著書には

最悪な状況ではないと、言っていたが 残念である。

5年生存率とは、
 
衰弱しても生きていればカウントされる数値で、
  治療開始から5年後に生きているという割合です。
ステージ3の
5年生存率は約50%とされていて、
ステージ4よりもマシに思えるが、  
危ない状況であったことには変わりはない。
その事を、最悪な状況ではないと語っていた 

黒木奈々さんは強く、胃がんと戦っていたのです。
2014年の9月下旬に受けた手術は成功したと

聞いた時には安心しましたが、
こんな結末になってしまい残念であります。

 ご冥福をお祈りします。 

アナウンサーの黒木奈々さん死去…胃がん闘病
2015年09月19日 18時10分 YOMIURI ONLINEホームへ
黒木奈々さん 32歳(くろき・なな=フリーアナウンサー)
19日、胃がんで死去。
告別式は23日午前10時、
東京都港区南青山2の33の20東京都青山葬儀所。
喪主は父、幹宏氏。

NHK・BS1の報道番組のキャスターなどを務めた。
2014年9月、胃がんで手術を受け、闘病記
未来のことは未来の私にまかせよう」が話題となった。
今年3月から番組に限定的に復帰したが、
8月上旬、都内の病院に再入院していた。

黒木奈々さん死去 32歳の若さで、 
フリーアナウンサー 胃がん闘病中
スポニチアネックス 9月19日(土)15時14分配信 ヤフーニュース
胃がんの治療を受けていたフリーアナウンサーの
黒木奈々(くろき・なな)さんが19日午前2時55分に亡くなった。
32歳。鹿児島県出身。同日、所属事務所が発表した。
 黒木さんは昨年4月にスタートしたNHKBS1

「国際報道2014」でキャスターを務めていたが、
昨年7月末に胃潰瘍の治療を受け、
経過を見るために行った胃カメラ検査で胃がんが見つかった。
8月27日の出演を最後に治療に専念。
9月下旬に受けた手術が成功し、自宅で療養していた。
今年1月4日には NHK「国際報道2015」(月~金曜後10・00)に
4カ月ぶりに1日限定の復帰を果たし、3月30日からは
同番組に週1回出演していたが7月13日の 放送を最後に休養していた。
 黒木さんは毎日放送を07年に退社後、フリーに転身。

CS放送「TBSニュースバード」、
NHK BS1「ワールドWaveトゥナイト」などのキャスターを務めた。

2015.9.19 16:05更新 産経新聞
胃がん公表…フリーアナウンサーの黒木奈々さん死去

2015年5月19日
黒木奈々さんが胃がん手術から復帰を果たす!
結婚や彼氏の存在は?
黒木さんの経歴は、鹿児島県鹿児島市出身、
鹿児島県立鶴丸高等学校を経て、 
上智大学外国語学部フランス語学科を卒業後、
2006年4月に大阪に所在する毎日放送(MBS)へ入社しています。
家族構成は、両親と4歳年上の兄が一人の4人家族です。
幼少時代からニュースキャスターに憧れを抱くようになります。
中学では軟式テニス部、高校では硬式テニス部に所属し、
大学ではフランス語学科を専攻していました。
また、父親の影響から熱烈なラグビーファンだといいます。
在学中には、フジテレビのアナウンススクールに通い、
その当時に、フジテレビ『めざましテレビ』(2003年3月28日放送)の取材を受け、
目標のアナウンサーは小島奈津子アナと答えています。
しかし、就職活動ではアナウンサー採用試験だけを受け続けましたが、
どこの局からも不採用となり、毎日放送(MBS)へ記者として入社します。
毎日放送では、
報道局ニュースセンター所属の報道記者として活動していましたが、
ニュースキャスターになることを諦めきれずに、
約一年後の2007年2月に退社しています。

フリーアナウンサーとして活動
その後、2007年4月からはクリエイティブ・メディア・エージェンシー
(CMA、現在のキャスト・プラス)に移籍すると同時に
『TBSニュースバード』のニュースキャスターに就任しています。
『TBSニュースバード』時代には『ドクター月尾 地球の方程式』の
2代目の聞き手役も務めるほか、2009年4月から半年間は
早朝から午前7時台を担当していました。
また、当時の同僚で元NHK鹿児島放送局のキャスター汾陽麻衣 
(かわみなみ まい)さん(ホリプロ)とは
同郷であることから親友だといいます。
その後、2010年3月にCMAを退社し、
2010年8月からセント・フォースに所属となります。
2011年4月から3年間、NHK BS1『ワールドWaveトゥナイト』の
アシスタントとしてニュース、天気予報などを担当しています。
同番組の取材では、得意のフランス語によるインタビューを行ったこともあります。
2014年3月31日にNHK-BS1『国際報道2014』にメインキャスターとして就任します。

記者から転職しフリーアナウンサーとして7年間活動し、

やっと掴んだチャンスでしたが
7月末に、友人と食事中に胃に激痛が走り、救急車で搬送され、
病院に行ったところ胃潰瘍と診断され緊急入院しています。
そして、経過を見るために行った胃カメラ検査で

胃がん(ステージIIIの段階)と診断されます。
その後、2014年8月27日放送回を最後に休養し、

胃癌を患っていた為だということを9月10日に公表しています。
2014年10月5日に退院し、関係者からは、胃癌手術は成功し

転移も無いと発表されています。
2015年1月4日放送のNHK総合『国際報道2015』の特別版で、

1日限定で現場への復帰を果たし、
本格復帰を目指して治療に専念することを表明しています。
また、この時の放送が黒木さんにとってNHK総合での初出演でした。
2015年3月には著書「未来のことは未来の私にまかせよう」(文藝春秋)で、

自身の闘病生活について綴っています。黒木さんは現在は仕事に復帰し、
2015年3月30日からNHK BS1の『国際報道2015』で、
毎週レギュラーとして月曜日のキャスターを務めています。
また、黒木さんは現在独身で、

彼女に関する熱愛報道や彼氏の噂はないようです。

黒木奈々 - NAVER まとめ

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